トップ > 防災・安全 > 防災 > 防災情報 > 温故知災(防災コラム) > 1000年前の大地動乱が再び?
ページID:124964更新日:2026年3月17日
ここから本文です。
東日本大震災にも匹敵する巨大地震と巨大な津波が、869年に東北地方三陸沖を襲っていたことが、震災後に大きな話題になった。平安時代前期の貞観11年だったことから、現在では貞観地震と呼ばれている。奈良時代から平安時代にかけて編纂された6つの日本正史・六国史の最後「日本三代実録」に、その生々しい被害の記録が残されている。この地震は震災後に大きな話題になったが、専門家の間では巨大地震があったことは古文書や地層調査などから既に知られていて、東日本大震災の前から、その危険性を指摘していた。しかし震災前、その忠告は正面から受け止められず、この巨大地震を前提にした防災対策は進まなかった。研究者からは「もっと早くから強く指摘していれば・・・」「少しずつ認識されてきていたのだが・・・」といった無念の声が多く聞かれた。
しかし、タイムスケールで言えば、巨大地震は数百年から千年単位、大噴火は千年から万年単位なのに対して、人間は、最近やっと「人生百年」の時代。巨大災害と人間の時間は一桁、二桁も違う。100年前後の間隔で繰り返し発生している南海トラフ地震は、ある意味頻繁に起きていたため、人生百年足らずの人間でも警戒心が強まるが、ざっと1000年も前の巨大地震に対する危機感は、当時はまだ実感しにくい時代だったのかもしれない。しかし震災後は、日本付近でもM(マグニチュード)9クラスの地震が起こりうると、巨大地震への認識が大きく変わった。100年前後で繰り返し発生している南海トラフ地震も、何回かに一回は東海地震、東南海地震、南海地震が同時に起き、さらに宮崎県沖の日向灘も同時に動いてM9クラスの巨大地震になりうると警戒レベルが一段も二段も高まった。
貞観地震に注目が集まるとともに、貞観地震があった9世紀の日本は、各地で大地震や噴火が相次いでいたことも大きな話題になった。当時の新聞報道などから9世紀頃の主な地震、噴火の記録を振り返ると、869年の貞観地震の前には、863年に越中・越後地震、864年から66年にかけて富士山が噴火(貞観噴火と呼ばれ、山梨県側の北西斜面で割れ目噴火が起こり、膨大な量の溶岩が噴出。当時北麓にあった大きな湖である剗の海(せのうみ)を埋め、西湖と精進湖に分断、溶岩流に覆い尽くされたところが後に青木ヶ原樹海となった)、864年に阿蘇山が噴火、868年には播磨地震が起きた。貞観地震の後にも、871年に鳥海山が噴火、874年に開聞岳が噴火、878年に首都直下地震に相当する相模・武蔵地震、880年に出雲地震、そして887年には南海トラフ巨大地震とみられる仁和地震も起きている。

↑東日本大震災4日後に、富士北麓で震度5強を観測した地震の発生を報じる2011年3月16日付の山梨日日新聞紙面
これだけの巨大な災害が集中して発生していたのは驚くばかりで、まさに9世紀は大地動乱の時代だったと言える。だが、さらに驚くことは、多くの専門家から「近年の地震活動は9世紀と非常に良く似ている」という指摘が出ていることだ。確かに阪神大震災、鳥取県西部地震、新潟中越地震、熊本地震、東日本大震災、能登半島地震などここ数十年だけでも大地震が連発している。そして9世紀に起きて、まだ起きていない地震、噴火として、南海トラフ巨大地震、首都直下型地震、富士山噴火が残っているのは、山梨県民として非常に気になるところだ。

↑富士北麓で震度5強を観測した地震で、富士吉田市内のドラッグストアでは棚から落下した商品が散乱した(2011年3月15日、山梨日日新聞提供)
日本社会は戦後急速に大きな発展を遂げ、今は高度な情報化社会になっている。都市も発展し人口密度が高くなっている。そんな超近代化した社会を巨大地震が襲ったら、その被害は過去と比べものにならず、破滅的な大災害となる。明治時代の物理学者で文筆家でもある寺田寅彦は著書「天災と国防」の中で、こう述べている。「いやが上にも災害を大きくするように努力しているのはたれあろう文明人そのものなのである」「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である」。寺田のメッセージはまさに今この時代に当てはまる。しっかりとした防災対策や意識を高めなければいけない。
(気象予報士・保坂悟=甲府市在住)