ふれあいvol77
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 僕は地元富士吉田市の出身でで山岳観光を勉強する機会に恵まれ、大勢で頂上を目指すだけの富士山登以来、富士山でエコツーリズム事業を展開し、これまで750回くらい 私は富士山の世界遺産登録や上携わってきました。 平成4年に日本が世界遺産条約を批准した当初、富士山の「自然遺産登録」を目指す流れがありました。の強みが少なく、さらに環境問題を富士講に代表される信仰や、浮世絵に描かれてきた富士山の芸術としての価値に着目し「文化遺産登録」を目標に掲げ、平成15年から活動を開ます。実は世界遺産登録が決まった時、登山ガイドとしては喜びよりも新たな課題が生じる事への不安の方んなの意識が富士山に向く良いきっかけになったと感じています。れは、例えば人生の岐路に立った時着き、よし、やろうと前を向ける。うことができる、これが大きな価値だと思います。 世界遺産登録へと導いてくれた小田さんには、とても感謝していが大きかったです。しかし、10年経った今は、世界の宝となったことでみ 私の考える富士山の価値。そや辛い時に富士山を見ると心が落ち富士山を通して自分の人生と向き合知り、保全に向けた意識を持つことが大切です。 そんな富士山の世界遺産登録や保全活動に深く関わってきたお二人に、それぞれの立場から富士山の価値や保全の在り方などについて語っていただきました。副業として登山ガイドを始めたこと 平成25年6月、富士山は世界遺産に登録され、私たちはその普遍的な価値を後世に継承する責任を負いました。これからもずっと、富士山が世界の宝であり続けるために、私たち一人一人が富士山について正しく近藤すが、かつてはまったく富士山に興味がありませんでした。30歳の時にから徐々に富士山に魅せられたのです。 ヨーロッパアルプス山脈の麓の街山の在り方に疑問を抱き、35歳で登山ガイドとして起業を決意しました。登っています。その後の保全に関わる活動に20年以しかし、富士山は固有の生態系など抱えていたことから、登録基準に合っていなかったのです。そこで私は、始しました。 それからさらに10年の歳月をかけて、富士山は「世界文化遺産」に登録されたのです。小田近藤小田見つめ直す、富士山の価値富士山を通して、それぞれの人生と向き合う富士山とともに歩んだ人生励まされ、前を向ける平成25年6月22日、カンボジアの首都プノンペンで開かれた第37回世界遺産委員会で富士山の文化遺産登録が決定した。12Zenko Oda事業家・教育者事業家・教育者小田 全宏 さん認定NPO法人 富士山世界遺産国民会議運営委員長(株)ルネッサンス・ユニバーシティ代表取締役世界遺産登録運動に尽力対談小田全宏

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