ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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99第1章 ふるさと山梨を大観して第2章 心のふるさと富士山第3章 ふるさと山梨を見つめて第4章 私たちのまちを見つめて第5章 未来を考える資 料 編Who are you?We are Budo-kun and Momon-chan. Budo-kun was born in the grape farmer’s house. Momon-chan is a daughter of the peach farmer. We do our best to promote Koshu City. ぶどう園を守る(日川水制群) 勝沼の日川水制群とは,祝橋から野呂橋までの範囲にある,右岸31ヶ所,左岸43ヶ所のT字型砂さ防ぼう堰えん堤ていをいいます。1907(明治40)年の大水害を契機として,土砂流出を防ぐ目的で1911(明治44)年から1915(大正4)年まで国が直轄工事をしました。 勝沼堰堤は,1915(大正4)年から1917(大正6)年にかけて水勢を抑える目的で国が直轄工事をしたものです。日川の左岸の岩盤を利用して堰体を造り,右岸は川の浸食を防ぐため,石積堤防を築き,それを越えて流れる水を想定して大規模な石いし張ばりをしています。まちの功労者 甲州財閥の一翼を担った実業家。甲武鉄道,京浜電鉄,江ノ島電鉄の社長となるなど,近代産業の多くの分野の事業に参画しました。(つながりP.42,P.43) 太平洋戦争中にフィリピンで戦死した兄中村徳郎から生前に託された手記をきっかけに,中村克郎は,戦死した学生たちの手記などを集めた「きけわだつみのこえ」の編集に携わりました。「天下の雨敬」実業家 雨宮敬けい次じ郎ろうわだつみ平和文庫 「中村徳とく郎ろう・克かつ郎ろう」甲州市ではぶどう,桃をはじめ,すもも,さくらんぼ,枯露柿などの果樹産業が,なぜ盛んなのだろう。昔から果樹栽培が盛んだったのかな。雨宮敬次郎さんや中村徳郎・克郎さんは,なぜ後世に名が残っているのだろう。生涯を探ってみたいな。甲州市には三つの国宝をはじめとして,多くの文化財が市内に数多く点在し,神社仏閣を中心に保存されているんだって。なぜ甲州市にはこのように多くの文化財が存在するのかな。山梨を代表する文化財と果樹の宝庫わたしたちのまちをつくる絹けん本ぽん著ちゃく色しょく達だるま磨図ず(つながりP.46,P.47)小桜韋威鎧 兜, 大袖付大だい善ぜん寺じ本ほん堂どう 附つけたり 厨ず子し

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