ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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104富士川町2010(平成22)年に2町(増穂町・鰍沢町)が合併して誕生[ A town of exchange where life and nature shines ] 暮らしと自然が輝く 交流のまちわたしたちのまち人口15,290人 面積111.98㎢ (H27.10.1) 富士川町は,釜無川と笛吹川が合流した日本三大急流の一つ,富士川の右岸に位置しており,森林が全面積の81%をしめる緑豊かな環境です。2010(平成22)年3月8日,増穂町と鰍沢町が合併してできた,山梨県で一番新しい町です。 富士川町は,富士川舟運を中心とした物資の往来や,身延山参さん詣けいなどの人の行き来の拠点として栄え,物資の輸送や人々の足が鉄道や自動車に代わった現代でも交通の要衝にあります。 さらに,中部横断自動車道の建設が進められ,富士川町の増穂IC以南が延伸され,リニア中央新幹線が町を横断することにより,交通や物流に大きな変化が予想されます。「学ぶこと大」と言われている湛山の思想と行動について,調べてみたいな。 石いし橋ばし湛たん山ざん(1956年~1957年内閣総理大臣)は,父親の郷里があった関係で,富士川町で幼少期を過ごし,増穂小学校で学びました。信念を貫いた政治家であり,豊かな見識に裏打ちされた確かな先見性は,「今日の日本にあって,学ぶこと大!」と言われている優れたジャーナリストでもありました。藤原初期の特徴を持った桧ひのき一本造りの木造薬師如来,県内最古の鰐口,ともに国の重要文化財に指定されています。748(天平20)年,聖しょう武む天皇の勅ちょく願がん寺じとして建立されたと伝えられる県内屈指の古こ刹さつです。寺宝として,鰐口と聖しょう観かん音のん菩ぼ薩さつ像ぞう版はん木ぎがあり,ともに県指定文化財となっています。1817(文化14)年,舟運の難所であった天神ヶ滝改修工事が終了しました。この時の工事の様子を描いたものが,「水すい行こう直なお仕し形かた図絵」「水行難なん船せん場ば有ゆう形けい図絵」です。山梨県で育って総理大臣になった歴史が生んだ多くの文化財1 明みょう王おう寺じの薬やく師し如にょ来らい像ぞう と鰐わに口ぐち2 最さい 勝しょう 寺じ3 七面堂の掛け額鰐口って何かな。どこかで見たことがあるような…。湛山揮き毫ごうの書(甲府一高所蔵)
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