ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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110南 部 町2003(平成15)年に2町(南部町・富沢町)が合併して誕生[ Making a rich town lled with pure water and rich green ] 水と緑が溢あふれるふれあい豊かなまちづくりわたしたちのまち人口8,071人 面積200.63㎢ (H27.10.1) 南部町は山梨県の一番南にあり,静岡県の富士宮市や静岡市に隣接した県境の町です。町の西には,十じゅう枚まい山さん・篠しの井い山さん・青あお笹ざさ山やまなど標高1,500m前後の山々が連なり,東には天てん子しヶが岳たけ・長ちょう者じゃヶが岳たけなど標高1,000m~1,500mの山々が,また南には1,000m以下の貫かんヶが岳たけ・白しら鳥とり山やまなどの山があります。町の面積の88%が林野で,山間地の多いことが地形的な特徴です。これらの山間に源を発した,戸と栗ぐり川がわや福ふく士し川がわ,佐さ野の川がわなどがあり,町の中央を南北に流れる一級河川の富士川に注いでいます。 気候は,特に冬が温暖で,1月の平均気温を比較すると,甲府市は2.8℃ですが南部町は3.5℃です。また,南部町は極めて雨の多い地域です。温暖で多雨,そして山間部の多い南部町は,お茶の栽培やタケノコの生産,杉・檜ひのきの生育に適した地域です。10ページの雨温図を見ると,南部と甲府の年間降水量の違いに驚くわ。この違いはどこからくるのかな。 甲斐源氏の祖と称される源みなもとの義よし清きよの孫にあたる加か賀が美み遠とお光みつ,その子で三男の光みつ行ゆきは,父遠光より南部の地を与えられ,南なん部ぶ三さぶ郎ろう光行と称し南部氏の初代となりました。鎌倉幕府の記録『吾あ妻づま鏡かがみ』には,南部三郎光行という名が見えます。伝承によると,光行は1189(文治5)年,頼朝が奥州藤原氏を攻めた際の戦功で,現在の青森県南東部から岩手県北部一帯を与えられたとされています。奥州南部氏は,江戸末期まで盛岡南部藩,遠野南部藩の大名として奥州南部地方を支配しました。南部町内には南部氏の館跡と伝えられる場所や空井戸,一族の墓と考えられる墓石群があります。当時は馬の飼育など「牧」の経営をしていたと考えられています。 現在,山梨・青森・岩手各県の南部氏にゆかりのある9市町は,「平成南部藩」を設立し,毎年「寺子屋交流」や首長の「一日国替」事業などに取り組んでいます。(つながりP.40,P.41)南部氏発祥の地南部三郎光行(盛岡市中央公民館蔵)南部氏一族の墓と伝えられる墓石群「寺子屋交流」「一日国替」って何をやるんだろう。「参勤交代」もあるらしいよ。
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