ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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134丹波山村[ Vitality ・ Moisuture ・ Village of centact ] 活力・うるおい・ふれあいの里わたしたちのまち人口596人 面積101.55㎢ (H27.10.1) 江戸時代には大菩薩峠越えの山道は甲州裏街道とも呼ばれる青おうめ梅と甲州を結ぶ要路で,丹波は宿場町として重要な位置を占めていました。昭和32年に小お河ご内うちダム(奥多摩湖)が完成してからは,東京方面への交通の便も大幅に改善されました。 丹波山村は,東は東京都奥おく多た摩ま町,北は埼玉県秩ちち父ぶ市に接する県境の村です。雲くも取とり山・飛ひ龍りゅう山・大だい菩ぼ薩さつ嶺れいなどの2,000m級の険しい山々に囲まれ,村の中央を東西に流れる丹波川があり,奥多摩湖を経て東京都民の飲料水となっています。 村全体が秩父多摩甲斐国立公園内に位置し,美しい自然環境を保ち続けています。 丹波山村の人口の内65歳以上の人口は,約半数を占めています。 丹波山村の歴史は古く,高たか尾お成なり畑はた地区から縄文土器や住居跡が発掘され,古くから私たちの遠い祖先が住み着いていたことをうかがわせます。甲斐国志によれば,室町時代にはすでに集落が形成され,戦国武将,武田氏の全盛期に黒くろ川かわ千せん軒げん,丹波千軒と呼ばれるほどの賑わいがあったと伝えられています。縄文時代の村を象徴する石があるそうです。どんな石なのかな。 お松引きは300年以上前から正月の伝統行事で村の無形文化財に指定され,毎年1月7日に行われる門松送りの祭りです。七草粥がゆをお松様にお供えし一家で食べてから熊野神社前の集積場まで松や正月飾りを運び,修しゅ羅らと呼ばれるY字形の大木の木ゾリの上に積み上げ,正面にはその年の十二支を飾ります。午前中をかけて山だ車しが出来上がると,午後からは修羅に付けられた2本の綱を,はっぴ姿の村人たちが「ヨーイ・ヨーイ」と,威勢よく木き遣やりの音頭でかけ声を合わせながら道祖神まで引いていきます。 14日,道祖神に積まれたお松様は,1年の無病息災を祈って焼かれ丹波のお正月が終わります。 修羅は古墳時代から使われていた運搬具の一種で,ふたまたの大木で作ったY字体の木ぞりです。それが,まだ道具として使われているのは日本中で,ここ丹波山だけです。お 松 引 き昔は修羅で何を,どのように運んでいたのかな。木遣唄ってどんな歌かな。歌ってみたいな。
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