ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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40秋山甘利武田塩部逸見常葉下山南部波木井一宮平井黒駒八代石橋浅利曾禰奈胡浅原高宮一条岩崎安田石和板垣小松加賀美河内於曾小笠原①甲斐源氏とは②甲斐源氏にまつわる地名は現在も残る(2)甲斐源氏の盛衰 「祇ぎ園おん精しょう舎じゃの鐘の声,諸しょ行ぎょう無む常じょうの響きあり。沙さ羅ら双そう樹じゅの花の色,盛じょう者しゃ必ひっ衰すいの理ことわりをあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。」 国語科でも習う『平家物語』の冒頭の一節。この物語の中には次のような一文があります。 「甲斐国には逸へん見み冠か者じゃ義よし清きよ,その子太郎清きよ光みつ,武田太郎信のぶ義よし,加か賀が見み次郎遠とお光みつ,同じく小次郎長なが清きよ,一条次郎忠ただ頼より,板いた垣がき三郎兼かね信のぶ,逸見兵ひょう衛え有あり義よし,武田五郎信のぶ光みつ,安田三郎義よし定さだ。・・・」(巻四 源氏揃) この者達こそ,甲斐源氏として知られる源氏の武士達です。甲斐源氏の諸氏は,互いに協力し,時に敵対しながら一時は源頼朝と肩を並べる勢力となり,中世日本の歴史に確かな足跡を残しています。 山梨の歴史上の人物と言えば「武田信玄」を連想する人も多いと思いますが,信玄の祖先にあたる武士達の活躍にも思いを馳はせてみましょう。加賀美遠光坐像(画像提供:南アルプス市教育委員会)伝 加賀美遠光廟所(南アルプス市)武田信義像(韮崎市)伝 武田信義墓所(韮崎市)伝 浅あさ利り与よ一いち墓所(中央市)毘沙門天立像 伝 安田義定像(放光寺 蔵)(画像提供:山梨県立博物館)左から武田氏・小笠原氏・南部氏の家紋安田義定ゆかりの放光寺(甲州市)私たちが住むまちにも関連する史跡や地名があるのかな。『山梨県史』中世通史編より作成
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