ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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43第1章 ふるさと山梨を大観して第2章 心のふるさと富士山第3章 ふるさと山梨を見つめて第4章 私たちのまちを見つめて第5章 未来を考える資 料 編②甲州財閥の活躍した時代と関係性の深い企業少年:では,若尾さんが甲州財閥と呼ばれるまでのことを話してください。若尾:私は,1820(文政3)年現南アルプス市(旧巨摩郡在ざい家け塚づか村)の生まれだ。百姓の家に生まれたが,剣客を夢見て江戸に出たこともあった。まあ,夢は叶かなわなかったがな。そんな私だったが,商売で身を立てることを決意し,天てん秤びん棒ぼうに桃や生糸,水晶屑くずなどを入れて松本,諏訪,八王子,そして開港に湧く横浜で欧米人相手に売りさばき,甲州一の豪商になったのだ。それまでには,40㎏近い商品の入った天秤棒を担ぎ160㎞の道のりを往復したことや,強盗に襲われ身ぐるみはがされたこと,大事な商品を雨で台無しにしてしまったことなど,大変な苦労があったよ。少年:車のない時代に,大変でしたね。では,日本の実業界で力をもてたのは,どのようなできごとがあったからですか。若尾:やはり株を買い占めて,東とう京きょう電でん燈とう(現東京電力)や東京ガス,東京馬車鉄道などを買収したことかな。少年:その頃,山梨県出身の実業家が活躍したので「甲州財閥」と呼ばれるようになったのですね。最後に,若尾さんはどうして成功することができたのですか。若尾:それはな,鎖国が終わり開国したことで外国と貿易が拡大したことや,日本の産業が発展していった時代ということもあるだろうが,情報に基づく先せん見けん性せいと行動力があったからだと思っているよ。甲州財閥の人たちは,みんな若尾さんのように豪快な人たちなのかな。「山梨近代人物館」で調べてみたいな。甲州財閥の活躍していた時代は,どのような時代だったのかな。●甲州財閥や山梨県出身の人たちに関連のある現在の企業・施設・史跡を調べてみましょう。山梨県にゆかりの深い企業は,他にもあるのかな。神奈川横浜新開港図山梨県甲府勧業場之図笹子トンネルを通る蒸気機関車関東大震災実況写真大震災1中段ヨリ崩壊セル浅草十二階(全て山梨県立博物館 蔵)江戸時代明治時代大正時代昭和時代若尾 逸平1820〜1913雨宮敬次郎1846〜1911根津嘉一郎1860〜1940小野 金六1852〜1923小池 国三1866〜1926佐竹作太郎1845〜1915神戸 挙一1862〜1926雨宮製作所・甲こう武ぶ鉄てつ道どう・日本製粉若尾系雨宮系根津系東とう武ぶ鉄てつ道どう・南海電気鉄道・富ふ国こく生せい命めい・日清製粉東京電燈・東京ガス・東京電車鉄道・第十国立銀行

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