山梨てくてくVOL.06
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「戦国時代はなぜ争いが頻発したのでしょうか。当時は小氷河期と言われ、冷夏、長雨、干ばつなど天候が不順でした。そのため慢性的な飢饉に見舞われ、他の領地に攻め込んで食料などを奪い取ってきたわけです。実はこれが戦国争乱の本質だといわれています。信玄がすごいのは戦に長けていただけでなく、もっと長い目で領国を豊かにする方策を考えていたところで、そこに政治家としての信玄の力が発揮されているのです。 優れた政治家に成り得た要因の一つに、文学青年だったことが挙げられます。もともと守護家というのは伝統的な武家なので教養人が多く、そのような環境で育った信玄も中国の書物を読破し、よく理解しました。戦国最強といわれた武田軍の象徴『孫子の旗』(別名『風林火山』)も中国の兵書『孫子軍争編』の言葉を引用しています」信玄は中国の書物を読破する文学青年だった。FEATURE信玄の卓越した領国経営武田晴信公画像(武田神社 所蔵)最強の戦国武将として誰しもが知る武田信玄。実は政治家としても優れた人物でした。「民力を高める=国力を高める」をモットーとしていた信玄とは…。日本中世史の研究で知られる、歴史学者の平山優さんが語ります。̶徳川家康も範とした̶ききん04
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