山梨てくてくVOL.06
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「信玄は領国の経済発展のため金山開発に力を入れ、『甲州金』という貨幣を作りました。甲州金は金の純度が高く高品質だったこと、また壱分金の形が、まるで和太鼓を上から見た姿に似ていることから、『太鼓判を押す』が、『保証する』『間違いない』という意味になったという説があります。 また、糸目金は甲州金の中で非常に小さく価値のわずかな貨幣でした。そこで、お金を思い切って使うときには、『糸目のようなわずかなお金は気にも留めない』の意味から、『お金に糸目はつけない』という言葉が生まれたともいわれています」 「金というのは秤量貨幣なので、重さで流通します。秤がしっかりしていないと安定した流通が望めないわけです。そこで信玄は職人を甲斐に呼んで正確な秤を作らせました。それが『守隨秤』です。この秤は徳川家康が武田家滅亡後に江戸でお墨付きを与え、江戸秤座となりました。そして江戸時代、東日本33カ国(当時日本は66カ国)の共通の秤として幕府が認定しました。信玄が作らせた秤が、非常に技術力が高く精密だったので、家康はそのまま使ったわけです。 それだけでなく、信玄が育てた家臣にも江戸幕府の要職として数多くの実績を残した人たち(大久保長安、鎮目市左衛門など)がいます。信玄が育てた人、技術、そして物が、260年続いた江戸幕府の体制を支えたといえるのです」信玄が育てた人、技術、そして物が260年続いた江戸幕府の体制を支えた。「太鼓判を押す」「お金に糸目はつけない」甲州金から生まれたといわれる慣用句。[甲州金]里芋の葉に滴が落ちて、“ころころ”とした様に似ていることから名が付いた「露壱両金」(左上)「お金に糸目はつけない」の語源ともされる「糸目金」(右上)「太鼓判を押す」の語源ともされる「壱分金」(右下)ひょうりょうかへいはかりしゅずいばかり/甲府市中央2-11-12/055-223-3090/9:00~17:00(入館は16:00まで)/日~木曜日 (ただし祝日・12月29日~1月4日は休館)/無料住 所TEL開館時間開館日入館料山梨中銀金融資料館守隨秤つゆいちりょうきん05
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