山梨てくてくVOL.06
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 「甲府盆地は古来から洪水が多かったので、信玄は治水事業を行い、耕地開発を進めました。10〜20 年先ではなく、おそらく50〜100年という期間で物事を見ていたのでしょう。その集大成の一つが『信玄堤』です。領国を水害から守り荒れた土地を開拓していく基盤をつくった政治家は、あの時代には信玄しかいなかったですね。信玄堤は決壊した記録が全くなく、今も山梨の人々の生活を守っているんです」 「武田信玄というと、戦の世界の信玄像に目がいきがちですが、実は信玄は今も私たちの世界にしっかり根付いたものを残してくれています。 信玄の器量というのは彼が健在だった時はもちろんのこと、亡くなった後も長く効力を発揮し続けました。中でも『甲州金』『守隨秤』『信玄堤』は、特筆すべきものだと思います。信玄はまさに当代に傑出した大政治家だったのです」後世に継承される治水事業に着手した信玄日本中世史に関わる研究を精力的に行う歴史学者。武田氏研究会副会長。山梨県立中央高等学校教諭。2016年放送の大河ドラマ『真田丸』をはじめ、ドラマなどの時代考証を手掛ける。平山 優さ ん[信玄堤 (しんげんづつみ)]甲斐市竜王釜無川と御勅使川が合流する付近は、しばしば大洪水に見舞われた。そこで信玄は、釜無川沿いに堤を造るとともに、御勅使川から堤を守るため、川の流れを変えて「高岩」と呼ばれる自然の崖へぶつけ、川の勢いを弱めるなどの治水事業を約20年の歳月をかけ行った。(右図)「以前、地元の人に伊勢湾台風(1959年)の時の話を聞きました。当時も信玄堤の脇に家があったわけですが、波頭を立てて川幅いっぱいまで水が押し寄せてきたそうです。誰もがこれはもうダメだと思ったけれど、信玄堤は切れずに下流の新しい堤防が切れたと言っていました。今でも信玄堤は現役なんです」と平山さんが語ります。信玄堤絵図(保坂家資料 個人蔵)かまなしがわみだいがわ06

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