山梨てくてくVOL.06
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元徳2(1330)年、夢窓国師により開山されました。甲斐の臨済宗の中心の一つで、京都の妙心寺の有力な僧侶が次々に信玄の依頼で入山した寺院でもあります。信玄は生前に恵林寺を菩提寺として定めていました。  甲州市塩山  JR中央本線・塩山駅からバスで約15分。恵林寺前バス停で下車恵林寺鎌倉時代、夢窓国師の築庭とされる美しい庭園(国指定名勝)も見どころです。夢窓国師の庭園元亀4(1573)年、53歳で信玄は亡くなりました。遺言どおりその死を3年間秘した後、快川国師により本葬儀が行われました。武田家臣の供養塔約70基も墓所後陣に並んでいます。※毎月12日のみ特別公開信玄公の墓所武田家滅亡後、織田信長による焼き討ちの際、三門に立てこもった快川国師が「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」の言葉を残したと伝えられています。三 門天正9(1582)年、織田信長の甲州征伐で焼失。その後、慶長11(1606)年、徳川家康によって再建されました。再建時の姿を今に残す遺構は、恵林寺の山号「乾徳山」の額を掲げ、鮮やかな朱色がひときわ目を引きます。国の重要文化財にもなっています。四脚門(通称・赤門)明王殿に安置されている武田不動尊は信玄が京都から仏師を招き、自らと対面させて模刻させたといわれるものです。信玄は自らの毛髪を漆に混ぜ、座像の胸部に刷毛で塗り込めたと伝えられています。武田不動尊08

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