山梨てくてくvol.14
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日蓮聖人の時代には、湯治というスタイルが確立されていたFEATURE湯けむりの向こうに悠久の歴史あり。 山梨は、4つのプレートが入り組む複雑な地質構造を有することから、多様な泉質の温泉に恵まれています。大きな温泉郷がないため、温泉県というイメージはあまりないのですが、実は山梨は日本でも有数の温泉の宝庫であり、大変古い歴史を有しています。温泉は人々の病や傷を癒やしたり、文化を育むサロンのような憩いの場でもあったりと、いつの世も人々の営みと共にありました。1300年を超える古い時代の伝説も語り継がれています。その中で正式な文献として残っているのが、建治4(1278)年に書かれた日蓮聖人の書状です。当時、身延山久遠寺を開山した日蓮聖人が蒙古襲来を予言したという名声を聞いて、一度会ってみたいと思った人々が久遠寺を訪れたそうです。ところがよく聞いてみると、下部温泉に来たついでに興味本位で会いに来たということが分かり、多くの人々を追い返したという内容のものです。この文献から日蓮聖人の時代には下部温泉はかなり有名であり、湯治というスタイルで温泉を訪れる人がすでにいたことが裏付けられています。葛飾北斎 《勝景奇覧 甲州湯村》 江戸時代(東京国立博物館蔵)しも べ04
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