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ページID:84121更新日:2018年12月27日
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KB0050 国指定 重要文化財(建造物) 拝殿及び幣殿 神楽殿 手水舎 社務所 随神門 福地八幡社 諏訪神社拝殿 |
平成29年11月28日指定 所在地 富士吉田市上吉田5558 所有者又は管理者 北口本宮冨士浅間神社
北口本宮冨士浅間神社は、世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つである。また、境内地の大部分は特別名勝「富士山」、境内地のほぼ全域が史跡「富士山」に二重に指定され、ここより吉田口登山道が山頂へ向かっている。 拝殿・幣殿は、北口本宮冨士浅間神社の本殿の前にあり、ほぼ北面して建っている。本殿周囲の瑞垣を高くして本殿建物を保護すると同時に、瑞垣柱を幣殿へと接続している。また、瑞垣裏に間口一間の惠毘壽社を祀る。 幣殿は、北面で拝殿へと接続し、屋根は正面側で拝殿背面に繋がり、拝殿は入母屋造で千鳥破風をつけ、さらに正面向拝には唐破風を架ける堂々とした大型の拝殿建築である。神楽殿は、4本の柱で全体を支える大型建築である。意匠は18世紀前期の技法をもち、絵様彫刻はそれを顕著に示す。初期の神楽殿として、またその時代の技法を示すものとして貴重な存在である。元文2年(1737)の建立。手水舎は、享保期(1716~36)から始まった境内大改修時の最後の建築と考えられる。水盤石の加工・運搬や彫刻など、多くの職人を費やしたもので、この期の改修の締めくくりの記念となったと思われる。延享2年(1745)に完成。 社務所は、唐破風玄関、木割の太い座敷など意匠性も高い。寛保元年(1741)に修復が終わった記録があり、唐破風の技法と年代が合うが、建物本体は、それより以前の建築とも考えられる。 随神門は、彫刻意匠が多く装飾性に富んだ建物である。入口側脇間には随神を祀らず、入口を広く取り、境内側脇間に随神を祀っており、近世中期らしい構成としている。当神社の表入口を飾るにふさわしい建築である。元文元年(1736)に完成。 福地八幡社は、貞享元年(1684)に境内の東宮本殿と同規模・同一平面形式で再建され、元文5年(1741)には、軸部・組物をそのまま残して改修されたと考えられる。東宮本殿の平面形状を写し、貞享と元文各期の各技法が一社に混在する形式をもった建物といえ、貴重な存在である。 諏訪神社拝殿は、境内の歴史を語る上で重要な存在である。諏訪神社の本殿が焼失し、昭和に再建されたため、当拝殿は貴重な遺構と言える。当初は茅葺であった屋根形式も当境内では唯一と考えられ、素朴な形状も特異である。享保期からの境内大改修の終わり頃の建築。 北口本宮冨士浅間神社の上記の建造物群は、富士講の指導者藤原光清(村上光清)の寄進に関連するもので、当時の富士講の隆盛を物語る上でも貴重なものである。 |