ページID:75792更新日:2024年11月18日

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無形民俗文化財歳時記

◆上演日程については上記のページをご参照ください。

  

MKA0001

国指定 重要無形民俗文化財

天津司舞

 

  • 天津司舞(てんづしまい)

昭和51年5月4日指定

伝承地 甲府市小瀬町

保持団体 天津司舞保存会

 

 天津司舞を地元ではオテヅツサンと呼び、9体の等身大人形を古来から地元17戸が操り、祭りごとに舞ってきた。発生時代は中世である。元は12体であったが、舞遊中に2体は天に昇り、1体は西油川村の鏡池に没したという神話になっている。残る9体は小瀬村産土神の諏訪神社社殿に鎮座してあったが、武田五郎信光の所領時代の建久年間(1190~98)に下鍛冶屋村に武田居館を移した際、神社も移したので、小瀬の旧社地へは大永2年(1522)に至って天津司神社が建てられ、この因縁から4月第1日曜日の祭日には笛、木鼓の囃子に乗って800メートルの小道を下鍛冶屋の諏訪神社へ、遣い手に捧げられてお成り、舞うのである。

境内は青竹を四方に建て、これに九曜星紋を染めた幕を張りめぐらし、この囲いを船と言い、船内東側に9体人形は安置させ、小瀬の人々は今は男性全員が参加し、中央に円陣を作り、拍手の後、舞に入る。舞は単純に船内を2回めぐり、次に狂いの荒い所作を行う。

人形構造は9体がほぼ同じ胴型の木箱の中心に胴串を付けたもので、上部の直径7センチの丸穴に木製人形頭を差し込み、胴串を柄として1人が持ち、うしろ向きに廻る役になれば、次の1人はこの人形遣いの腰を取って誘導し、別のもう1人は胴串に向き合って人形の袴へ両手を差し込み、人形の腕を動かす役をする。9体は(1)一のササラ(2)二のササラ(3)一の太鼓(4)二の太鼓(5)一の鼓(6)一の笛(7)鹿島様(8)姫様(9)鬼様と呼ばれているが、各別々に神名があり、天津司社のご神体である。

9体のうち(1)~(6)までは両手の採物の楽器によって明らかに楽人を模し、中世特有のビンササラは左右幅45センチ、天地13センチ、木を割って上端を並べ紐で綴ったもので、開けば扇の逆の形になり、サラサラする音は宗教的呪術界のようである。一の太鼓、二の太鼓は頭に花笠をかざり、撥(ばち)を持つ手が胸にくくりつけた太鼓を打つ動作をする。一の鼓は左手に長さ18センチの鼓を抱え、右手で打つように動く。一の笛は頭に一輪の菊花の蕾をつけ、次に舞う鹿島は引立烏帽子に白八巻姿で、両手を大きく開き小太刀を持ち、幕内を2周しながら途中で小太刀9本を投げ、見物人は幕外で見ながら争って拾う。室町期の田楽に現われる刀玉を手玉に扱う刀玉師の型を見せている。姫と鬼は組舞となっており、囃子が急調子に変ると鬼が姫を追う行動を展開するが、その後の特別の所作はなく引退る。

顔は一のササラと一の鼓を鬼を除いてほぼ細面に作られ、胡粉を塗り、頭髪などは墨で黒く塗り、毛などなく、姫も同様である。鬼のみが僅かに麻糸をつけている。顔全容は品のある古風なつくりで、姫以外はお歯黒をつけ髭なども描き、優雅な中世風の趣きがあり、特に姫は金の冠をつけ瑶珞がヒラヒラ顔にかかり、頭が左右に動く姿は美しい。

以上、中世芸能の特色であるビンササラや刀玉師の人形はよく時代を現わしている。当て字である天津司は室町期の辞書「新撰類聚往来」に傀儡(テズシ・クグツ)と載っており、民俗芸能学会名誉会長本田安次氏の研究では静岡の「北山本紋寺文書」に蒲原宿に傀儡芸能団が居ったことがあり、蒲原から富士川沿いをのぼって小瀬に伝えたことも考え得られると考察している。

 

 

 

 

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