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ページID:78105更新日:2024年11月14日
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YKC0012
県指定 有形民俗文化財 |
平成29年3月2日指定 所在地 甲府市上積翠寺町 管理団体 上積翠寺鍛冶屋組
岩船地蔵の背面には「岩舩地蔵菩薩」という名称と共に「享保四年七月九日」と年月日が刻されており、享保4年(1719)の建立であることを示している。すなわち、これが1719年に武蔵、相模、安房など関東地方西部から信濃、甲斐、駿河、越後など中部地方東部にかけて広く流行した岩船地蔵信仰の残した記念物であることを教えてくれる。 岩船地蔵は、享保4年に下野国岩船山高勝寺(現 栃木県栃木市岩舟町)から送り出され、村から村へと村送りされた。岩船地蔵が送られてきた村では、それを迎えて、華やかな服装をし、賑やかに囃し立て、念仏をし、自村だけでなく、近隣の村々まで巡った。そしてそれを受け取った村でも同様に行い、順次村送りされて進んだ。この岩船地蔵が熱狂的に迎えられ、祀られ、村送りされた様相については、各地に文字資料として残されており、それらの記述はほぼ同じで、流行した時期は享保4年である。そして、その記念として石造の岩船地蔵像を造り、路傍の仏として祀った。したがって、岩船地蔵像は若干の例外を除いて、大多数が享保四年とそれに続く数年の間に建立されている。 山梨県内についても、「見聞芥集」(筆者不詳、1643年から1774年までの甲斐国内の出来事を記録)、「一宮浅間宮帳」(市川三郷町市川大門の一宮浅間宮の神主が記録した近世の日記)、「塩山向嶽禅庵小年代記」(甲州市塩山向嶽寺の歴代住職が1376年から1769年までの約400年間書き継ぎ記録した年代記)などの文字資料が残されており、いずれも享保4年に岩船地蔵が村送りでやってきたこと、人々が熱狂的にそれを迎えて華やかに、また賑やかに巡ったことが記されている。そして、山梨県内には石造の岩船地蔵が多数残されている。船形台座に載せられていることで岩船地蔵であることを姿として示しているものが基本であるが、船形台座はないものの銘文に岩船地蔵と刻しているものもある。それら岩船地蔵の総数は県内で65あり、岩船地蔵が分布する県の中でもっとも多く、県域の面積や居住空間の面積を考えれば、もっとも濃密な分布を示していると言える。上積翠寺の岩船地蔵像の台座はそのなかでもっとも大きく、形状の整った船形の台座である。 岩船地蔵の熱狂的な信仰は近世におこった流行神仏の一つであり、流行は過ぎ去り、記念の石造岩船地蔵を残した。そして多くの土地では、その来歴は忘れ去られ、珍しい姿の地蔵ということのみの存在となってしまった。下野の岩船地蔵との関係は伝えられず、その姿から水害、水難などとの関係での新たな意味づけが行われた。岩船地蔵をなお岩船地蔵であると認識し、それを祀る所はほとんどない。県内ではわずかに2カ所である。まして、岩船地蔵和讃などを現に伝え、唱えている所などは皆無に近い。山梨県内では上積翠寺のみである。
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