トップ > 組織案内 > 観光文化・スポーツ部 > 山梨県立考古博物館 > 資料・展示紹介 > 展示紹介「甲府盆地で鉄製品はつくられた?特異な鉄製品と鍛冶の可能性」
ページID:99916更新日:2024年5月21日
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古墳時代の開始を語る上で、鉄の流通は大きく注目されてきました。輸入品である鉄の安定的な入手を巡って、様々なネットワークが整えられたものと考えられるからです。曽根丘陵の古墳群からも多くの鉄製品が出土しています。このうち、今回は近年の研究の中で、その位置づけに特筆すべき点が生まれた大丸山古墳出土の2つの鉄製品に注目し、そこから導かれた甲府盆地に鍛冶があった可能性を考える論考について紹介します。
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大丸山古墳は、考古博物館のすぐ南側の丘陵斜面上に築かれた99mないし120mの大型前方後円墳です。組合式石棺の中や蓋石上から三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡等の鏡3面、石枕等の豊富な副葬品が出土しました。特筆されるのは蓋石上に配されたと思われる数多くの生産用具や武器・武具などの鉄製品です。特に竪矧板革綴短甲(たてはぎいたかわとじたんこう)や鉄製柄付手斧(てつせいえつきちょうな)は、国内での類例が少ないもので発掘当初より注目されてきましたが、これらの鉄製品を巡っては近年新しい研究成果が発表され、その内容が注目されます。
大丸山古墳の竪矧板革綴短甲
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短甲とは身を守る甲冑で、大丸山古墳の短甲は17枚の縦長の鉄板を革で綴じて作られたものです。この種の甲冑は日本列島では3例程度しか確認されていないものの、他の資料と比べると共通しているのは縦長の鉄板を用いるという点だけで、着装時に甲冑を体の前で引き合わせる構造ではなく、体の横で引き合わせる必要があることや、胴部鉄板上面に別の押付板が大丸山古墳では存在していないことなどから、大丸山古墳出土例の特異性が際立ちます。結果として、この甲冑が小規模で試行錯誤的な生産状況によりつくられたものとみられます。特に大丸山古墳の竪矧板革綴短甲と同様の資料が畿内にも存在しないため、その生産が地方で行われたとみることもできるのです。
大丸山古墳の鉄製柄付手斧
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鉄製柄付手斧は、木材を加工する手斧を模したもので、武威を示す武人的有力者に好まれた朝鮮半島系の儀器の一つとみられます。出土以来、輸入品とみる見解や、国内でつくられたものとの見解がありました。最新の研究では、日本列島では最古のものと位置づけられ、この段階に相当する資料が曽根丘陵付近にしか存在しない点が特筆されます。そのため、短甲等の鉄製品と併せて、倭王権を介さない形で朝鮮半島南部より甲府盆地に技術者がやってきて鉄製品が製作された可能性も示されます。
前回の水晶の話、今回の鉄製品、そしてこれまでも判明していた日本最古のウマなどを総合すると、曽根丘陵の先進性は際立ちます。古墳時代前期は、最終的に倭王権に統合されてしまいますが、弥生時代後期の交流的な背景を引きついで、各地で自律的な交流が認められる時代です。東日本最大級の墳墓である甲斐銚子塚古墳等を生み出した、曽根丘陵の墳墓に葬られた有力者も、王権中枢から各地へ分配したとみられる器財(鉄・玉など)を、縮小した形ではあるものの自分で調達し、かつ配布可能な有力者であったことを想定できるようになってきたと思われます。これらの研究は、畿内ほど大きくないにせよ、甲府盆地にもそれに類する小型の王権が間違いなく存在していたこと実感させる成果と言えます。こうした成果の一部等も踏まえて先般整備したARアプリで曽根丘陵を歩いて、古代に思いを馳せてみるのはいかがでしょうか。
県立考古博物館・学芸課
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