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ページID:3766更新日:2019年2月1日
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暦や紀年の知識、そして文字を得た日本人は、国内の統一を達成した大和朝廷の正当性と先進文化を持つ中国・朝鮮に対する日本の独自性とを主張するために、自国の歴史を考えるようになりました。「日本書紀」や「続日本紀」など、律令国家が8世紀初頭から2世紀に渡って編纂した正史、その全書名に共通する語が「日本」であることに、国史編纂の意識の一面が表れています。律令政治や武士政権など、時代によって為政者や支配体系は変化しますが、奈良時代以降を歴史時代と呼びます。
聖武天皇の発願(741年)による、鎮護国家を目的とした国分寺・国分尼寺が笛吹市一宮町に造営されます。両寺は律令制の衰退とともに荒廃してしまいますが、泥塔(でいとう、平安時代)や人形(ひとがた、平安時代)、六道銭(ろくどうせん、戦国時代)などの様々な出土品から、当時の人々の不安や信仰を伺い知ることができます。
人形(平安時代、甲府市塩部遺跡、複製)
中世展示コーナー(一部)