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隼遺跡で発掘調査が始まりました。隼遺跡は、山梨市牧丘町隼地区にあり、隼山の険しいガケの中腹に位置しています。そこにある二つの洞窟遺構をまとめて「隼遺跡」と呼んでいます。この度、急傾斜地の整備事業に伴い発掘調査を実施することとなりました。 隼遺跡の二つの洞窟は、江戸時代の地誌『甲斐国志』「隼山」の項に「大士窟」と「大黒窟」という名が記されています。大士窟の奥には石仏などがあり、今でも地元住人の信仰の場所となっています。おなじような洞窟遺跡は、県内にもいくつか例があり、中世から近世に山岳信仰の僧侶が修行した場所であると考えられています。 大士窟は自然の洞窟を利用していますが、壁には柱のホゾ穴などがみられ、窟の内部に堂社があったと考えられます。また、大黒窟は壁一面にノミなどの工具の痕が残っており、人工的に掘られた窟です。どちらも入り口部を中心になんども天井が崩れたようです。 7月1日より、本格的に発掘調査に着手しました。大士窟の発掘調査では、現在の表土から10~20cm下がったところで、近現代の面と考えられる旧地表を検出しました。入り口付近では、火を燃したと考えられる炭化物の集中する土層を確認しています。 隼遺跡は、立ち入ることが危険なため、遺跡見学は困難です。そのため、数回に渡り発掘調査の状況をHPで紹介していきたいと思います。発掘調査は8月末まで実施します。どんな成果が得られるでしょうか。お楽しみに。 隼遺跡の立地
大士窟からの眺め(隠れてますが右手に富士山!) 大黒窟 奥壁に壇を造っています
大士窟、奥の石仏など 大士窟の近代以降の面 手前が炭化物層
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