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ページID:62314更新日:2015年12月11日

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遺跡トピックスNo.0401鎌田川旧堤防遺跡

中央市の遺跡

  • 0036小井川遺跡-布施荘・五輪塔・大型建物跡その1-
  • 0085小井川遺跡-カマド-
  • 0120小井川遺跡-池状遺構・五輪塔-
  • 0130小井川遺跡-大型建物跡その2-
  • 0041平田宮第2遺跡-井戸-
  • 0060平田宮第2遺跡-祭祀-
  • 0401鎌田川旧堤防遺跡

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上掲の写真には身延線の電車が写っています。ここは電車が身延側から笛吹川を渡りきったすぐの場所。正確には中央市大田和の鎌田川と東花輪川という小さな川にはさまれた場所にある古い堤防です。鎌田川の改修工事が行われ、この場所が削り取られるために、2013年9月に調査を行いました。

遺跡の基本データ

◆所在地:中央市大田和地内

◇時代:江戸時代

◆調査期間:2013年9月11日~2013年9月12日

◇報告書:山梨県教育委員会2014『鎌田川旧堤防』山梨市埋蔵文化財センター調査報告第298集

0401_堤防の断面

写真は調査した堤防の断面です。一番外側の土を表土(ひょうど)といいます。表土には竹の根がたくさん残されていることから、竹を植林したことがうかがわれます。表土の下はシルト(砂と粘土の中間の粒子)や砂が混ざった土が交互に積み重ねられています。また、堤防の底から採取した木炭に含まれていた放射線を帯びた特殊な炭素(14C)の量から年代を調べると、江戸時代の初め(慶長年間)よりも新しいことがわかりました。

1609年(慶長14年)に笛吹川の氾濫でこの付近は大きな水害に襲われました。その結果、大田和(大田輪)村が現在の場所に移転したことが「甲斐国志」という江戸時代の本に記されています。こうした記録から、大田和村を水害から守るためにつくられた堤防の一部と考えられます。また、江戸時代には村の石高をまとめた村高帳(むらだかちょう)という記録も残されています。慶長14年よりも前の記録と後の記録を比べると、大田和村の石高は大きく増えています。

江戸時代を含む近世の歴史については各地にさまざまな記録が残されています。そうした記録と発掘調査の成果をもとに、その時代の人々の暮らしや地域の環境を明らかにしていくことも考古学の役割ではないかと思います。

 

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