トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 遺跡トピックスNo.423横森赤台遺跡-五輪塔を伴う中世のお墓[北杜市]
ページID:68012更新日:2017年5月17日
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北杜市の遺跡
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横森赤台遺跡は、八ヶ岳から続く緩い南向き斜面に立地しています。ここからは、17基もの土坑墓(土を掘って地面に遺体を埋めるお墓)が発見されました。今から400~500年ほど前につくられたもので、土坑墓の上には五輪塔が安置されていたと考えられます。
所在地:北杜市箕輪字赤台700-1 時代:中世 調査期間:山梨県埋蔵文化財センター 報告書:『横森赤台(東下)遺跡』山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第171集
横森赤台遺跡で発見された中世墓横森赤台遺跡で発見されたお墓は、土坑(遺体を埋葬する穴)と、土坑を埋めた後に安置した五輪塔で構成されています。五輪塔は、供養塔や墓標としてつくられたものです。五輪塔の形態や副葬されていた土器などから、これらのお墓が15~16世紀につくられたものであることがわかりました。 土坑の規模は平面形が長さ約140cm、幅約100cmの楕円形で、深さは50~70cm程度です。火葬されずに直接遺体が埋葬されたものと、火葬されたものがありました。副葬品には、土器のほか、「三途の川の渡し賃」と思われる銭貨があります。 五輪塔は土坑の中からバラバラの状態で発見されました。それぞれを組み合わせていっても、かならずしも元の五輪塔の形に復元できるわけではありません。五輪塔の屋根のようにみえる笠形と呼ばれる部分や、その下に位置する丸い形をした円形と呼ばれる部分の数が合わない場合があります。ヨソで解体された五輪塔を、何らかの理由で土坑墓の中に配置したものと思われます。いったい何のための行為なのか…特別な意味があるのかもしれませんが、時がたち現在ではわからなくなってしまいました。
遺跡からバラバラの状態で発掘された五輪塔の各部位を、大きさごとに配置したものです。 人骨を調べてみたら…横森赤台遺跡からは、全部で10体の人骨が出土しました。人骨に残っているコラーゲンやたんぱく質を分析することで、ずばり何を食べていたかはわからないものの、どのような種類の食物を主に摂取していたかを知ることができます。横森赤台遺跡に埋葬された人骨を調べた結果、2体の人骨の分析結果が得られました。 彼らは米や麦のような穀物類を多く摂っており、粟や稗などの雑穀類は摂取していないこと、海産物も多くは食べていなかったことなどが明らかになりました。 何しろ2体だけの分析結果ですから、これが当時山梨に住んでいた人たちの一般的な食物の傾向を示しているかはわかりません。食生活は身分や職種、地域などによって異なっていたかもしれません。検証は必要ですが、興味深い分析結果です。
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