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ページID:91141更新日:2019年8月19日
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大師東丹保遺跡の概要大師東丹保遺跡は南アルプス市大師(旧甲西町)にある遺跡です。この遺跡は1993年に中部横断自動車道の建設に際し発掘調査が行われました。その結果、弥生時代から中世までの長い間、土地活用がなされていたことがわかりました。この遺跡は約700年前に、洪水の被害を受けて押し流されていましたが、そのような中でも当時の道具や建物跡などがある程度残されていました。洪水によって覆われた生活の痕跡は当時の様子を教えてくれる貴重な資料です。 所在地:南アルプス市大師 時代:弥生時代~中世 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第132集 『大師東丹保遺跡Ⅱ・Ⅲ区』1997.3 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター
大師東丹保遺跡Ⅱ区全景 大師東丹保遺跡出土の漆椀大師東丹保遺跡出土の下駄
水で流された建物大師東丹保遺跡は広大な面積(16000平方メートル)を対象とし、調査は1.~4.区の調査区に分けて行われました。1993年に行われた2.区の調査では、掘立柱建物の柱根がいくつか見つかりました。これらは地中に据え付けられたまま途中で折れて倒されており、洪水で押し流され倒された柱の下部だけが残ったものと考えられます。建物の柱は建物が使われなくなったときに抜かれたり、腐ってしまうため、残っていることは珍しいのです。この遺跡では洪水で埋まり、かつ水はけが悪い土地であるため、残ったのでしょう
検出された柱 これらの柱は南に向かって倒れています。これは洪水により倒された方向を物語っています。遺跡が存在する場所は北から南に向かって下がっていて、滝沢川と坪川によって挟まれた中州状の地形です。この両河川から氾濫した水が洪水となって集落を襲ったのでしょう。川からあふれ出た水が地形に沿って北から南に向かって流れ、その途中にあった大師東丹保遺跡の集落を飲み込んだと思われます。倒された柱の中にはかなりの角度で傾いているものも確認され、洪水の勢いの強さが想像されます。
大師東丹保遺跡の地形 防災の進んだ現代でも、昨年に起きた広島県や岡山県の土砂災害のように自然の力は脅威です。昔の人々も我々同様、災害には苦労していたことがうかがえます。
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