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いちかわだいもんてすきわし
起源は平安時代にさかのぼり、中世末からは武田家の御用紙として、江戸時代には幕府の御用紙として保護され発展しました。楮、三椏を原料に美術紙、画仙紙などを漉いていて、ぶどうの樹皮を用いた新しい紙づくりも行われています。
主な産地
西八代郡市川三郷町
指定年月日
平成7年11月(山梨県郷土伝統工芸品)
主な原料
楮(こうぞ)、三椏(みつまた)
甲斐の和紙に関する記述の初見は「正倉院文庫」に見られます。奈良時代末の宝亀四年(773年)の記録に、全国の紙の産地として甲斐の名が記されています。また、平安時代の延長5年(927年)に完成した延喜式においても、甲斐の名前が記されています。
市川三郷町市川大門の南の平塩の丘は、その昔、「天台宗百坊」といわれる程、多くの寺院がありました。その中の平塩寺の旧記によると、延応二年(1240年)には多くの漉家があったと記されており、これらの漉屋から漉出される紙は、写経などに用いられていました。
また、市川の和紙は、中世末以来、武田家の御用紙として、その保護のもと発展。江戸の時代においても幕府の御用紙として保護されてきました。
起源は平安時代にさかのぼります。明治時代まで手漉きが盛んに行われていましたが、機械化が進み、現在は市川三郷町に手漉和紙の製造工場は一社のみです。原料は「楮」「三椏」を使用し、美術紙、画仙紙等を製造しています。
一枚一枚手作業で作られています。
紙の原料の楮や三椏などを水につけて柔らかくし、不純物を取り除く
水漬した原料を薬品と一緒に平釜で煮て、不要な非繊維質を溶解する
紙を作るのに必要な繊維を取り出す
繊維を洗って薬品を取り除き、漂白剤により漂白する
強靱な和紙を作るために、ビーターで叩いて繊維をほぐす
漉きぶねの中へほぐした繊維と“ねり”を入れ、よくかき混ぜて簀桁(すげた)を用いて紙を漉き上げる
プレス機で水をしぼる。
乾燥機に刷毛で貼り付けて乾燥する
市川和紙工業協同組合
住所
山梨県西八代郡市川三郷町市川大門1725
電話番号
055-272-0069
ファクス番号
055-272-0069
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