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にしじまてすきわし
武田信玄の任により誕生し、さまざまな技術や素材の改善を経て生み出された和紙。西嶋手漉和紙は墨色の独特な発色やにじみ具合、筆ざわりが特徴です。書道半紙やブライダル用紙などの高品質な和紙が作られています。
主な産地
南巨摩郡身延町
指定年月日
平成6年10月(山梨県郷土伝統工芸品)
主な原料
稲わら、竹、マニラ麻、琵琶湖の葦、サトウキビ、バナナ、ケナフ、故紙等
西嶋手漉和紙は、1571年(元亀2辛未年)を発祥とすると記録に残されています。
国主武田信玄の任により、現在の静岡県伊豆市修善寺で和紙製法の修行を積んだ西嶋生まれの望月清兵衛が、その製法を故郷に持ち帰ったことが始まりです。
望月清兵衛が作った和紙は、みつまたを主原料にした平滑で光沢のある毛筆に適した紙でした。この紙を手にした武田信玄は大変喜び、自らこの紙を西未と命名。武田菱に西未の文字を刻んだ朱印を清兵衛に預け、紙役人に任命しました。その後、故郷へと帰った望月清兵衛は、西嶋村民だけでなく、西嶋以南の富士川流域で暮らす人々に和紙の製法を教え、広めていきました。江戸時代には富士川流域で盛んに西未の紙が作られ、静岡県富士川沿いの半紙の産地もこの流れを受け継いでいるといわれています。
西嶋和紙は明治まで戦国時代とほぼ同じ道具で作られ、みつまたを中心に記録用紙などの実用紙として利用されてきました。技術が発展した明治から大正時代には、紙の需要は手漉き和紙から機械で大量に作られる洋紙へと変化しました。しかし西嶋の製紙産業はこの波にはのらず、原料の加工や紙の乾燥のための道具を工夫しながら手漉きにこだわり続けました。
第二次大戦後は、それまでの半紙に変わり、紙問屋の一瀬憲とマルキ製紙の佐野清亀、書道家の竹田悦堂らの研究により画仙紙を完成させ、全国に先駆けて販売。現在も西嶋和紙の屋台骨となっています。画仙紙を全国に先駆けて作ったことにより西嶋和紙は大きく発展をし、機械化、省力化を行うなかで現在にいたっています。
手漉き画仙紙
漢字用、にじみが強く墨色が美しいのが特徴。地元西嶋で収穫される原料の稲わらを独自の製法で和紙の原料に加工しているため、筆に適度な抵抗があり、作者が望む渇筆やニジミを表現することができます。故紙を利用して徹底的に樹脂分を取り除いた紙と墨は、想像を超えるほどの相性の良さを感じることができます。
手漉き半紙
漢字用、中、上級者向きです。画仙紙ほどにじみませんが、他の産地の半紙と比べるとにじみが多く、綺麗な墨色と線を表現できます。
みつまた賞状用紙、みつまた卒業証書用紙
原料のみつまたは一万円札の原料と同じ所から仕入れています。古くからの製法を守って作られる紙は生成りの鳥の子色が特徴で光沢があります。この紙は1000年以上保存が可能。各学校の校章が入った卒業証書用紙は、一枚一枚手作りで作られたもの。最近では卒業生自身が紙を漉く体験も行われています。
はがき
絵手紙に最適な手漉きの葉書を生産しています。
名刺倶楽部
インクジェットのプリンターで本格的な耳付き名刺を作製できる紙を生産しています。
そのほか、和紙の照明、ちぎり絵用のいろがみセット、ブライダル用招待状など、現代のライフスタイルに合わせた和紙づくりにも取り組んでいます。
繊維の中の不純物や脂気などの多くが除かれた原料や繊維の短い原料を用いること、漉いた紙を一度天日乾燥させるなどの特色ある製造工程を経ることにより、西嶋和紙独特の「墨色の発色」「にじみ具合」「筆ざわり」などが醸し出されます。
繊維を柔らかくするために苛性ソーダで原料を煮る
原料を配合し、細かく叩いて繊維の強度を上げる
西島和紙工業協同組合では、故紙や稲わらなどから製紙用パルプを取り出すための共同の原料処理施設を備えており、用途に合わせて原料を加工して、各事業者で配合している
一枚ずつ丁寧に漉く
紙を漉いた翌日、プレス機で一日かけゆっくりと水を搾る
一ヶ月ほど天日で乾燥させる
天日乾燥した紙を再度水槽で濡らしてから一枚ずつはがし、刷毛で丁寧に乾燥機に貼って乾燥させる
傷やシワがないか一枚ずつ確認をする
寸法にあわせて、耳を切り落とす
西嶋和紙工業協同組合
住所
山梨県南巨摩郡身延町西嶋391ー1
電話番号
0556-42-3234
ファクス番号
0556-42-2519
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