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ページID:82017更新日:2018年8月30日
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KGC0065 県指定 有形文化財(工芸品) |
平成29年9月7日指定 所在地 南巨摩郡身延町大野839 所有者又は管理者 本遠寺
日蓮宗・大野山本遠寺は、徳川家康の側室・お万の方(養珠院)を開基とし、実子である紀州・水戸の両藩祖の寄進になる寺院で、慶長14年(1609)に創建された。 本寺の鐘楼堂(国指定重要文化財)に懸吊されている、この銅鐘は、総高170cmに及ぶ大形鐘であり、その威容を示す中にも、竜頭や撞座・下帯の唐草文などは洗練された精巧な表現がみられる。また、撞座の蓮弁が、一般的な八葉ではなく十六葉であるのは珍しく、かつ、鋳型の繋ぎ目痕を削平するなどの丁寧な仕上げなどが特徴的である。 本鐘の銘に見られる「鋳師 洛陽之住 銅意」とは、江戸時代前期(寛永~寛文期=1624~1672)頃に、江戸を中心に活躍した当代一流の鋳物師である渡邊銅意源正駿(正俊ともいう)のことである。銘に「洛陽之住」とあることから、本鐘製作時には京都在住であったと考えることもできるが、実際には、慶安三年当時既に武陽(江戸)において活躍していたとされている。 渡邊銅意は、東京国立博物館の擬宝珠(万治二年銘、現存)、東京・浅草観音堂の銅花瓶(寛(一)文(六)元年(六一)銘、佚亡)などの作では、江戸時代を通じて鋳物師としては三名のみの付与であった法橋位を名乗っているが、その法橋位授与においても、銅意の大型遺例である日光大猷院廟燈篭や日枝神社灯篭、及び本遠寺銅鐘などの事績が考慮されたとの説もある。 本件は、甲斐鋳物師の作ではないが、当時の江戸の代表的な鋳物師であった渡邊銅意の製作になる基準作であり、鋳技精巧で細部の仕上げも丁寧な大形銅鐘の優作で、銅意作の現存唯一の銅鐘である。かつ、その刻銘には、本遠寺の由緒や開基養珠院の信仰、梵鐘製作の意図・功徳、寄進者、製作年、鋳物師名などが詳細に記されていて、身延町ひいては、山梨県の歴史を考える上で資料的にも重要な存在である。 〈見どころ〉 ・江戸幕府を開いた徳川家康を身近に感じるとこができる。
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