ページID:71593更新日:2016年3月28日

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PB0004

国指定 重要文化財 絵画

絹本著色大円禅師像

  • 絹本著色大円禅師像(けんぽんちゃくしょくだいえんぜんじぞう)

大正5年5月24日指定

所在地 甲州市塩山上於曽2026

所有者又は管理者 向嶽寺

 

大円禅師は、向嶽寺開山抜隊得勝(ばっすいとくしょう)のことで、嘉暦2年(1327)に相模中村に生まれたが、4歳で父を失い、20余歳で母を失った。正平10年(1355)出家し、32歳で雲樹寺(島根県)に参じ、三光国師に謁して、印可を得て抜隊の道号を授けられた。天授4年(1378)、甲斐に入り、塩山竹森に庵居していたが、甲斐の守護武田信成が塩山の地を寄進し、天授6年(1380)、向嶽庵を開き移った。禅師は戒律を厳にし、罰酒神として天満宮を境内鎮守に勧請し、飲酒の僧を罰し、持戒の僧の擁護を祈念した。

禅師は住山6年、朝廷、国守、庶民に至るまで、禅法を説き、また塩山の霊泉を開放して病者を救治し、貧者には生活の資を給した。説法は平明で世間の人々の耳に入り易く、語録は誰でも読めるように仮名書きにした。元中4年(1387)2月20日に61歳で亡くなり、160年を経た天文16年(1547)6月、朝廷は武田晴信の奏請を嘉納して、抜隊得勝に慧光大円禅師と勅諡(ちょくし:勅命によって諡 (おくりな) を与えること)されたのである。

この画像は、大円禅師(抜隊得勝)の頂相(禅宗の僧侶の肖像画)。金襴表装で縦128.8センチ、幅62.2センチあり、作者は明らかでないが、優秀な作者の手になる南北朝時代の作品である。

大円禅師は、斜め右を向き、袈裟を着し威儀を正し、法被をかけた背の高い椅子に座禅し、前の踏床にくつを置く。手に払子(はっす)をとり、傍らに拄杖(しゅじょう)をたてかける。同寺蔵の三光国師像と同じ形姿をとっている。本像の制作にあたって、三光国師像になぞらえて、大円禅師が描かれたと思われる。上方に抜隊得勝の七周忌にあたる明徳4年(1393)に向嶽寺六世の傑叟自玄(けっそうじげん)の抜隊の自賛を写した賛がある。

 

 

 

 

 

 

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