ページID:71595更新日:2016年3月28日

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 PB0005

国指定 重要文化財 絵画

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  • 絹本著色武田信虎像 (けんぽんちゃくしょくたけだのぶとらぞう)

昭和10年4月30日指定

所在地 甲府市古府中町5015

所有者又は管理者 大泉寺

 

この画像は武田信虎の三男、すなわち信玄の弟の刑部少輔信廉(入道して逍遥軒信綱)が、天正2年(1574)、父信虎の死後、その生前をしのんで描いたもので、同年5月の端午の日に、長禅寺(甲府市)二世であった臨済宗妙心寺派の大本山である妙心寺(京都府)住持の春国光新(しゅんこくこうしん)和尚が賛を着けた。

春国は信玄の師僧として知られた甲府五山の長禅寺の開山岐秀元伯(ぎしゅうげんぱく)の法嗣で、妙心寺四十八世の猊座(げいざ)についた名僧で、武田家とは深い関係があった。信虎が天文10年(1541)に48歳で駿河に退隠して以来、天正2年春、81歳で信州高遠に歿するまでの33年間を、深い同情をもって見守った僧である。信虎の死の直後、その遺児である信廉が、父の真容を描いた画幅を寄せ、亡父の冥福のために着賛を懇請したのである。春国はこれを承諾し、長文の賛詞と一首の偈(げ)を加えた。

信廉は、戦国時代に比類少ない武人画家で、大和絵と狩野派とを折衷した画風をもって一家を成す程の人物であった。

この画像は長さ82センチ、幅37センチ、絹地に彩色で描かれている。白の小袖に墨染の法衣を着、掛絡(から:小さな略式の袈裟)をまとい、軍配のような団扇(だんせん)を捻りつつ上畳に座る姿は、武将の法体像としては普通の姿であるが、異常に大きい頭と烱々(けいけい)人を射る眼光は、像主信虎の武勇精悍で、かつ磊落(らいらく)な性格をよく描き出している。筆者信廉の円熟した手腕は称賛に値するといえる。

 

 

 

 

 

 

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