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ページID:71620更新日:2019年10月11日
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PC0045 県指定 有形文化財 絵画
(左)五代喜右衛門夫人像 (右)五代喜右衛門像 |
平成17年5月2日指定 所在地 笛吹市御坂町成田1501-1 所有者又は管理者 山梨県・山梨県立博物館
本絵画は大木家に伝来し、平成2年3月大木家の申し出により県に寄贈されたもので、いわゆる「大木コレクション」の中の一つである。 大木家は江戸初期に遡る甲府の商家で、少なくとも寛文8年(1668)に没した初代彦右衛門にまで遡る。当初、「井筒屋」の屋号で呉服商を創め、天保年間(1830~1844)に屋号を「おふどう」と改め、近代にいたるまで繁栄した有力商家である。その間三代目までは彦右衛門、以後は喜右衛門を襲名し、幕末の六代目に及んだ。七代目が明治・大正期に本県経済界に多大な貢献を尽くし、衆議院議員をも歴任した大木喬命である。 本夫妻像は五代喜右衛門と同夫人の画像であるが、天保12年(1841)4月に甲府道祖神祭の幕絵作成のために来甲した折の歌川広重の作品と認められる。広重の来甲時の日記『天保十二丑とし卯月日々の記』には大木家訪問の記事はないが、その後、半年間の逗留中、諸家の屏風や襖絵などの制作依頼に応じているから、本図の制作も同家のもとめに応じたものと思われる。 広重は幕末を代表する著名な浮世絵師であるが、定火消同心の出身から歌川豊広の門に入り、次第に頭角を現して、天保初年ごろから風景画に新境地を開拓、「東海道五拾三次」などの名作を相次いで世に送った。来甲は正にこの時期に当たり最も円熟の域に達した時である。 本図は、極めて上質な絹地に、ていねいに筆を運び彩色を施す。喜右衛門像は数枚の下着の上に縹色(はなだいろ)の薄物を着、その上に黒羽織をはおる。坊主頭、両手は両膝上におく。夫人像は白の肌着の上に二枚の下着を重ね、その上に茶染(香染か)の紋付を着、太鼓風に黒帯を前結びする。後頭部に髪を束ねて髷を結い、両手は膝前に結ぶ。夫妻とも薄紫地花文散らしの座布団に正座する。 このように、夫妻の正装姿を写したものとみられ、記念写真のようなものであったと推測される。筆遣いは謹直で、造形表現の的確さも別格である。やや前かがみの夫妻の老相は穏やかな人柄をうかがわせ、今しもその人を眼前にする趣がある。整美な衣裳は伝統ある呉服商の風格をただよわす。 本図は広重肉筆画の貴重な一本としてその価値は極めて高い。
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