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ページID:85270更新日:2024年10月25日
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KSC0045 県指定 有形文化財(考古資料) |
平成30年3月1日 指定 員数 54点(斎串(木製品)42点、櫛(木製品)2点、下駄(木製品)2点、綿状繊維(繊維製品)1点、人骨(歯)7点) 所在地 中央市臼井阿原301-1 所有者又は管理者 中央市(中央市教育委員会)
上窪遺跡は甲府盆地のほぼ中央に位置し、標高252mの微高地上に立地している。山梨大学医学部南東に接する本遺跡は、近年の区画整理などにより、8次にわたる発掘調査が行われ、第5次調査において水田跡や平安時代住居跡4軒などと本遺物が出土した墓跡が発見された。 本遺構は遺跡の第2生活面で発見されたもので、基本土層8層かその上面に掘り込み面があったと考えられている墓跡である。8層上面は平安時代の生活面と考えられている層である。遺構の平面形は、隅丸長方形をしており、土坑内を掘り下げると、土坑内を覆うようにアシ状の植物茎が長軸方向に平行して面的に検出され、アシ状の植物茎の南東端上から下駄2点が出土した。アシ状植物茎面の下からはスポンジ状の植物繊維質が、土坑長軸に沿って厚さ4cmほどに圧縮された状態で敷かれていた。このスポンジ状繊維層の中に人骨、櫛があり、人骨は歯が頭部の位置に、その他は粉末状(ペースト状)になって繊維内から発見されている。また、櫛片2点は胸と腹と推定される位置からそれぞれ出土した。なお、繊維層の下は再びアシ状茎が敷かれ、その下に斎串42点がまとまって出土した。遺構は主軸をほぼ南北方向に合わせており、北を意識した埋葬となっている。 奈良時代や平安時代の墓制では、天皇や貴族階級の墓については一部が知られているものの、地方の豪族や一般の人々の墓制については皆無の状況といって良い。古代に於ける墓は『餓鬼草紙』(平安時代・国宝)にあるように、身分の高い人物は土葬し、小さな塚の上に卒塔婆が立てられるが、一般の人々は山野河海などへの埋葬や放置が一般的と考えられている。 県内の遺跡で古代の墓と考えられるものには、土坑墓、石囲墓、古墳の横穴式石室などへの2次埋葬等が検出されているが、これらは乾燥した場所に営まれる事が多く、中から遺体や副葬品が検出された例は極めて少ない。 こうした社会状況の中で、埋葬状況の分かる平安時代9~10世紀の土坑墓は貴重な発見であり、葬送の状態が良好に残されている例として、本例は県内唯一の資料である。特に葬送に先立つ斎串の埋納、遺体をくるんだ筵や布団状の遺物、副葬品としての櫛、下駄のセットは葬送儀礼を知る上で極めて貴重である。以上により、本例は本県の平安時代前半期における、祭祀性が高い埋葬儀礼を示す貴重な一括資料である。 <見どころ> 平安時代のお墓の跡です。 遺体は布団にくるまれ、その上下には斎串とよばれるケガレを払うための長い串がたくさん納められていました。 墓の主は神に仕えるような人だったのかも知れません。
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