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ページID:89037更新日:2024年12月4日
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SB0016 国指定 史跡 |
平成31年2月26日指定、令和4年3月15日追加指定、令和5年3月20日追加指定 所在地 甲府市丸の内1丁目、中央2丁目、愛宕町字愛宕町 所有者又は管理者 山梨県
甲府城は、一条小山を呼ばれた天然の孤丘上に築かれた県内唯一の平山城で、天守台及び諸郭の整った本格的近世城郭である。 天正10年(1582)、武田氏が滅亡した後に入国した徳川家康によって築城に着手された以降、十数年の歳月をかけて文禄3年(1594)に浅野長政によって完成したといわれる。 築城当時は一蓮寺が一条小山にあったため、これを今の太田町に移転するとともに、周辺の町割整備も行われた。中央の天守台を中心とした内城、その南北に配された内郭、及びこれらを取り囲む市街地を含む外郭からなり、近世における甲斐国の政治的拠点であった。 甲府城跡は、明治以来の近代化の波の中で急速に姿を変えてきたが、現在では内城の中心部分である天守台、本丸、二の丸、稲荷曲輪、鍛冶曲輪が指定され、公園として市民の憩の場となっている。 天守台には天守閣が建てられたという記録はなく、他の建物も明治初年には全て取り払われ、今は石垣を堀を残すのみである。 〈みどころ〉 築城期(1590年代)の野面積み石垣が天守台を中心によく残っている城跡です。 東日本では、初期段階の高い石垣をもつ城跡で、我が国の政治・軍事の歴史を知る上で貴重であると評価されています。 鉄門が復元され公開されています。
詳しくはこちら 甲府城跡の位置図←こちらをクリックで地図がご覧いただけます。 「史跡甲府城跡保存活用計画」を策定(2020.10)
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