ページID:41775更新日:2016年1月19日
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県指定 史跡 |
恋塚一里塚 こいづかいちりづか / 平成14年7月4日指定 / 上野原市犬目 / 上野原市 江戸時代に甲州街道の起点である江戸日本橋から一里ごとに塚が築かれたもののひとつであり、21番目、二十一里(約84㎞)を示す一里塚である。直径約12m、高さ約5mの円丘で、昔は道を挟んでもう一つ塚があったが、現在は一つが残されている。
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武田晴信の墓 たけだはるのぶのはか / 昭和33年6月19日指定 / 甲州市塩山小屋敷 / 恵林寺 恵林寺境内にある五輪塔1基と宝篋印塔1基からなる。これらは宝篋印塔にある銘文から、信玄百回忌の寛文12年(1672年)に再建されたものであるとされている。
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武田勝頼の墓 たけだかつよりのはか / 昭和33年6月19日 / 甲州市大和町田野 / 景徳院 中央に勝頼の宝篋印塔、向かって右に北条夫人の五輪塔、左手に嫡男信勝の五輪塔が据えられている。勝頼200回忌の安永4年(1775年)に当時の住職が中心となって建てたものである。近年の調査で基壇中から多量の経石が出土した。
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於曽屋敷 おぞやしき / 昭和38年9月9日指定 / 甲州市塩山下於曽元旗板 / 甲州市 屋敷の主が誰かは不明であるが、中世の土豪屋敷の一つである。南辺82m、東辺109m、北辺96m、西辺121mの変形の長方形の敷地に土塁が巡り、その外側に堀が更に外側に土塁が巡っていた。現在内側の土塁をみることができる。
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景徳院境内 けいとくいんけいだい / 昭和42年5月29日指定 / 甲州市大和町田野 / 景徳院 天正10年(1582年)に徳川家康が武田勝頼主従の菩提を弔うために創建した。度重なる火災により創建当時の建物は山門のみである。
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大塚古墳 おおつかこふん / 平成9年6月12日指定 / 市川三郷町大塚 / 市川三郷町 甲府盆地南端、曽根丘陵上にある古墳時代中期(5世紀代)に築造された前方後円墳(帆立貝形)である。墳丘は全長約40m、後円部径約35m、後円部の高さ約5mである。前方部に石室が存在することや周壕が巡ることが確認されている。発掘調査で副葬品等が出土し、これらは「大塚古墳出土資料一括」として県文化財に指定された。
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日蓮上人草庵跡 にちれんしょうにんそうあんあと / 昭和34年2月9日指定 / 身延町身延 / 久遠寺 文永11年(1274年)に身延山に来た日蓮が5.45m四方の草庵を結び、その後弘安4年(1281年)に18.18m(10間)四面に改築された場所である。現在は更地で周囲に玉垣が巡っている。
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真篠城跡 まじのじょうあと / 平成12年3月2日 / 南部町福士字真篠 / 個人 別名を福士の城山、真篠砦という。城主や築城時期は不明であるが、甲斐と駿河を結ぶ駿州往還を抑えるための山城であると推測されている。現地には現在でも土塁・堀・郭が良好に残存している。
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