ページID:45714更新日:2016年12月1日
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古(いにしえ)より日本人は、噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として畏れ、噴火を鎮めるために富士山の麓に浅間神社を建立しました。噴火活動が沈静化する平安時代後期になると富士山は、日本古来の山岳信仰と密教等が習合した「修験道」の道場となりました。
12世紀前半に活躍した修行僧の末代上人(まつだいしょうにん)は、山頂に大日寺を築きました。室町時代後半には、修験者とともに一般庶民も登拝するようになり、戦国時代に現れた長谷川角行(はせがわかくぎょう)が新たな富士山信仰を教義としてまとめたとされています。
角行の教えは弟子へと引き継がれ、江戸時代中期には「富士講」(ふじこう)として関東を中心に大流行し、多くの人々が富士登山や富士五湖等の霊地への巡礼を行うようになりました。
明治になると女性の山頂登山も解禁となり、また鉄道や道路網の発達により多くの登山者が山頂を目指すようになりました。