ページID:103809更新日:2022年5月26日
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(令和4年3月23日選定。令和4年5月9日顕彰)
稲葉氏は、茨城県上野村(現筑西市)に生まれ、東京帝国大学(現 東京大学)第二工学部精密工学科を卒業後、富士通信機製造株式会社(現 富士通株式会社)に入社した。
昭和47年に同社から富士通ファナック株式会社として独立する際に専務取締役となり、昭和50年に代表取締役社長に就任した。社長として、忍野村に富士工場を整備した後、ファナック株式会社に社名を変更し、昭和59年には東京都日野市から忍野村に本社を移転した。
技術者として、国内企業では初めて、工作機械などの操作に使われる数値制御装置の開発を手掛け、世界的な機械工業の生産自動化や効率化に多大な貢献をされた。
平成7年に会長、平成12年に相談役名誉会長、平成17年からは名誉会長を務め、令和2年、95歳でご逝去された。
この間、氏は、国内外に向けたグローバルな事業展開により、同社を世界的な電気機器メーカーに育成した。事業活動を通じて、地域経済の発展や県財政に大きく寄与しており、山梨県への貢献は絶大である。
また、世界的先端技術企業として、英国サッチャー元首相の視察や、ルクセンブルク大公国大公殿下・大公妃殿下の御視察、昭和59年から平成15年の計4回にわたる行幸啓等を受け入れるなど、国内外に向け山梨県の名を広めることにつき極めて大きな役割を果たされた。
これらの功績は極めて顕著であり、県民の誇りとしてひとしく敬愛を受けているところである。
令和4年5月9日
1925年 3月 茨城県上野村(現:筑西市)に生まれる
1946年 9月 東京帝国大学第二工学部卒業
1946年 11月 富士通信機製造(株)入社
1965年 7月 工学博士号取得(東京工業大学)
1972年 5月 富士通ファナック(株)専務取締役
1975年 5月 富士通ファナック(株)代表取締役社長
1988年 5月 (社)日本産業用ロボット工業会会長
1992年 1月 (財)マイクロマシンセンター理事長
1992年 2月 米国アカデミー外国会員
1995年 6月 ファナック(株)代表取締役会長
1996年 5月 (社)日本ロボット工業会会長
1996年 6月 (公社)精密工学会会長
2000年 6月 ファナック(株)相談役名誉会長
2005年 6月 ファナック(株)名誉会長
2020年 10月 逝去
1968年 4月 通商産業大臣発明賞(電気・油圧パルスモータの実用化)
1974年 4月 米国NC協会ジョセフ・マリー・ジャガード賞
1977年 5月 米国SMEエンジニアリング・サイテーション賞
1977年 7月 ブルガリア共和国マダルスキ・コニク第一級勲章
1981年 4月 紫綬褒章
1985年 9月 ルクセンブルク大公国クロン・ド・シェーヌ勲章
1987年 4月 米国ロボット工業会J.F.エンゲルバーガー賞
1987年 12月 米国SME M.ユージン・マーチャント・マニュファクチュアルリングメダル
1989年 9月 ルクセンブルク大公国勲二等メリット章
1990年 4月 藍綬褒章
1992年 10月 通商産業大臣表彰(産業用ロボット業界発展への寄与)
1995年 11月 勲二等瑞宝章
2000年 11月 山梨県県政功績者表彰(特別功績)
2020年 10月 従四位
令和4年5月9日、同年3月に山梨県名誉県民に選定された故 稲葉清右衛門氏の顕彰式が県庁別館の正庁で行われ、氏の長男でありファナック(株)代表取締役会長の稲葉善治氏に称号記と名誉県民章が贈られました。
(長崎知事から称号記を贈呈)
(名誉県民章を贈呈)
(稲葉善治会長の挨拶)
(同上)
(左から、桜本県議会議長、稲葉会長、長崎知事)
(名誉県民章)
続いて、別館2階の山梨近代人物館に設置された名誉県民顕彰特別展示会場において、テープカットを行い、観覧しました。
(特別展示期間:令和4年5月9日~令和5年3月27日)
(テープカット)
(清右衛門氏のインタビュー映像を観覧)
(清右衛門氏の写真を観覧)
(ファナック(株)の歴史を観覧)