トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNO.0023宮沢中村遺跡
ページID:4317更新日:2016年2月5日
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宮沢中村遺跡〔みやざわなかむらいせき〕遺跡概要宮沢中村遺跡は南アルプス市(旧甲西町)に位置する鎌倉時代から江戸時代の村の跡です。平成6年度(1994)および平成8年度(1996)に発掘調査がおこなわれました。 江戸時代は集落が形成されていましたが、富士川の度重なる水害のため、明治時代に現在の清水地区へ全村移転がおこなわれました。 発掘調査で発見された民家や寺社のあとは、土を盛り上げ周囲より高くして洪水に備えており、水害に悩まされた江戸時代後期の農村のようすを読み取ることができます。下層からは、鎌倉時代と推定される水田のあとや、杭や網代を用いた護岸施設などが発見されました。 所在地:南アルプス市宮沢字東宮沢 時代:鎌倉時代・江戸時代 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書_第181集2000年(平成12年)3月刊行 調査機:関山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター 遺跡全景 調査風景 作業風景 出土した遺構・遺物網代写真の網代は現在県立博物館に一部展示中です。 写真は宮沢中村遺跡から出土した杭列と網代です。 杭列の東側は、平坦な粘土面であったことから水田と、西側は砂利層であったことから川であったと推定されます。 これらの出土状況から、杭列と網代は水害から水田を守る護岸施設であったと考えられています。 時代としては、宮沢中村遺跡に隣接する鎌倉時代の大師東丹保遺跡からも、同様の杭や網代が出土していることから、ほぼ同時期のものと思われます。 昆虫(左から、ヒメコガネ・ドウガネブイブイ・シロテンハナムグリ・タマムシ) 宮沢中村遺跡は湿地帯であったことから、たくさんの自然遺物が出土しています。 松ぼっくり、桃や梅の種などのほかに、昆虫も大量に出土しました。 なかでも、もっとも多く出土した昆虫、ヒメコガネはマメ科の栽培作物や果樹につく害虫です。 また、写真のような甲虫類が多数みられる環境は、人口密度の高い集落によくみられることから、宮沢中村遺跡の周辺は、畑が多く、また人工密集度も高い環境であったということが昆虫からも裏付けられるのです。 江戸時代の宮沢中村集落の人々は、水害に備え、こうした害虫とも闘いながら作物を栽培し、日々の生活を営んでいたのでしょう。
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