トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.166三光遺跡発掘調査速報
ページID:8053更新日:2016年2月8日
ここから本文です。
笛吹市の遺跡
|
6月から始まった発掘調査も残すところ後1ケ月となりました。秋の晴天に恵まれ作業も進んでいます。 前回の速報で2.区に1つめの住居跡(1号住居跡)が見つかったことを紹介しました。これに続き、同じ2.区に2つめの住居跡(2号住居跡)が見つかりました。 [写真12号住居跡柱穴はまだ掘っていない状態] この住居は楕円(だえん)形をしていて、短い方の直径は3.5m、長い方の直径は4.3mあります。床に直径40cm程の柱穴が5つあけられています。また、中央より少し北側(写真では左側)に70cm四方の赤く固く焼けた土(焼土・しょうど)があります。 この焼けた土は、炉(ろ)の跡と考えられます。炉は暖房や照明・料理などに使われたと考えられています。このように地面で直接火をたいた物を地床炉(じしょうろ)といい、この他にも石で囲みを作った石囲炉(いしがこいろ)、土器が埋められた埋甕炉(まいようろ)などがあります。(こちらもごらん下さい→遺跡トピックスNo165) これらの特徴や見つかった土の層から考え、この2つめの住居跡は縄文時代の住居と考えられます。 竪穴住居(たてあなじゅうきょ)についてこの2号住居のように地面に穴を掘ってその底に床をはり、柱をたてて屋根をふいた半地下式の住居を竪穴住居(たてあなじゅうきょ)といいます。 今回見つかった住居は後世に上の部分を削られたため、深さは10cmほどしかありませんが、普通は30cm~数十cm、後の古墳時代では1mを超えるものもあります。 [写真2竪穴住居内(縄文時代)のイメージ] 縄文時代から次の弥生時代・古墳時代にかけての住居はこの竪穴住居(たてあなじゅうきょ)が一般的です。この住居は更にその次の奈良時代・平安時代と引き継がれ、東日本ではその後の鎌倉時代(約700年前頃まで)まで続いていきます。 炉からかまどへまた古墳時代の中期以降(約1600年前)になると、炉のかわりにかまどが作られるようになります。(*炉が残った地域もあります)かまどには火をおおう囲いと、上に土器などを置くかけ口が作られます。炉とはことなり、主に調理をする施設となります。竪穴住居の壁ぎわに粘土や石で作られ、煙道(えんどう・煙の通り道)が住居の外にのびる本格的なかまどは朝鮮半島から伝わりました。後の平安時代には持ち運ぶことができるかまども作られるようになります。 [イラスト3炉(縄文時代)][イラスト4かまど(平安時代)] 三光(さんこう)遺跡で見つかった1つめの住居は平安時代の竪穴住居ですが、この住居にもかまどの跡がありました。発掘したときはかまどの形は残っていなかったのですが、縄文時代の住居と同じく、焼土と欠けた石がいくつか見つかっています。 [写真51号住居かまど跡] 次の遺跡トピックスへ|遺跡トピックス一覧へ|一つ前の遺跡トピックスへ
|