九鬼2.遺跡概要
写真1作業状況
本遺跡は、山梨リニア実験線関連施設建設に伴い、1993年に発掘調査が行われました。桂川を西に見下ろす九鬼山の北西面に立地し、周辺には、桂川に合流する各支流に発達した河岸段丘上に、縄文時代(約12,000~2,500年前)を中心とする数多くの遺跡が存在します。
調査の結果、平安時代(約1,100~1,000年前)を中心とした集落であることが確認されましたが、縄文時代前期~後期(約5,000~3,000年前)に至る遺物が検出され、縄文時代の住居跡も1軒確認されています。
所在地都留市井倉字九鬼
◇時代縄文時代前期~後期、平安時代
◆調査期間1993年6月~12月
◇報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第118集
埋納(まいのう)された装飾土器(そうしょくどき)
写真2_九鬼2.遺跡から出土した装飾土器
写真3_写真2を90度まわして見た状態図1推定される本来の形
写真2、3は九鬼2.遺跡から出土した土器で、形態から縄文時代中期の井戸尻式期(いどじりしきき)(約4,000年前)のものです。大きな搭状(とうじょう)の把手(とって)と小型の突起状(とっきじょう)の把手が1対ずつ付いています。
底部が欠けていますが、図1のような形が本来のものと考えられます。
九鬼2.遺跡では土坑が62基発見されていますが、遺物が出土したのは2基で、そのうちのひとつにこの装飾土器が立てた状態で埋められていました(写真4、5)。
写真4_埋められた装飾土器写真5写真4を上から見た状態
このような装飾土器の底部を欠いて土坑に埋めてあるという例は県内外でいくつか見られ、過去の遺跡トピックスでも紹介しています。(遺跡トピックスNo.137原町農業高校前遺跡)
これらは、ただ穴の中に埋まっていたというわけではなく、縄文時代の人々が意図して埋納したと考えられます。
縄文時代の生活は、狩猟、漁撈、植物採集といった自然の恵みに依存したものでした。
当時の人々が自然へのさまざまな祈願、感謝の祭りを行う際、食物を煮炊きするための特別な土器として装飾土器を用い、祭りで使用した後の装飾土器を埋納したと考えられています。
埋納された遺物は当時の人々の精神を知る重要な手がかりです。
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