トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0178影井遺跡
ページID:22949更新日:2017年5月31日
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下の写真の場所は、平安時代(約1200~800年前)の遺跡です。この遺跡から当時の料理道具が出てきました。名前は「羽釜-はがま」といいます。名前を耳にしたり、自宅に金属製の羽釜がある方もいるかと思います。羽釜は、国道411号(塩山東バイパス)建設工事に先立ち、平成11年度に発掘調査した「影井遺跡(かげいいせき)」から発掘されました。 塩山東バイパス〔影井遺跡〕 所在地:甲州市塩山赤尾国道411号(塩山東バイパス) 時代:平安時代 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第196集2002年刊 調査機関:山梨県埋蔵文化財センター 影井遺跡-羽釜例)九鬼2.遺跡(都留市)-長胴甕 当時「羽釜-はがま」は、「甕-かめ」と使い方が同じで、基本的には「かまど」にかけてお湯を沸かしていました。例にある「長胴甕(ちょうどうがめ)」よりも胴(タテの長さ)が短くなり、小さな底が広く大きな底になる事で、広い面積で火を受け、早くお湯が沸くようになりました。この時代は、お米を煮炊き(にたき)する道具は鍋(なべ)でした。雑穀や、大根・カブなど入れ、量を増やして食べていました。 現在、ふつうに私たちが食べている「ごはん」は「炊(た)く」といいますが、羽釜でお米を炊(た)くようになるのは江戸時代になってからだといわれています。羽釜の大きなフタは、釜の中の温度を下げない役割と、炊けた後に「蒸(む)らす」という、より美味(おい)しくごはんを炊くためにかかせない物でした。 現在では「羽釜」から「炊飯器」に変わったものの、羽釜に似た炊飯器の内ナベも多くなり、古き良き物が見直されているようです。
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