トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 遺跡トピックスNo.216長田口(おさだぐち)遺跡-鏡片(きょうへん)
ページID:28120更新日:2015年12月14日
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遺跡の概要1988(昭和63)年から1991(平成3)年にかけて、富士川西部広域農道建設に伴う発掘調査として、山梨県埋蔵文化財センターによって調査を行いました。その結果、弥生時代後期から古墳時代前期を中心とした遺跡であることが確認されました。 地図 割られた鏡の謎ー長田口(おさだぐち)遺跡の鏡片(きょうへん)この鏡片は、鏡の外側の縁を半月形に割り、磨いたり、孔(あな)をあけた痕跡が見られます。破鏡の両側のはしにある2つの孔(黄色で囲った部分)は、紐(ひも)のようなものを通し、首飾りとして利用したと考えられており、鏡の内側にあたる残りの4つの孔(赤で囲った部分)は、鏡を割る際に開けられたと考えられます。 この鏡を復元すると、直径11.4cmの鏡であることがわかりました。また、中国の後漢という王朝の末期の時代に、中国の華南(中国大陸の南の地域)産の鉛を含んだ青銅(せいどう)で作られた「双頭龍文鏡(そうとうりゅうもんきょう)」と推定されました。両側の龍と、中央の「位至三公(いしさんこう)」という文字が刻まれていることが特徴です。 写真:「位至三公鏡」 (『日本考古学事典』より) 鏡の作られた後漢(ごかん)という時代は、日本の歴史では弥生時代の後期にあたります。後漢の歴史を記した歴史書『後漢書』東夷伝(ごかんじょとういでん)には、倭の奴国(なこく)の王が朝貢(ちょうこう)し、皇帝から印綬(いんじゅ。はんこのこと)を下賜(かし)されたことが記されているように、九州を中心とした勢力が中国大陸と交流を持っていた時代です。
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