トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0237酒呑場遺跡
ページID:31428更新日:2015年12月14日
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北杜市の遺跡
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蛇体装飾付土器割れ口にマメの圧痕が見えます 酒呑場遺跡(さけのみばいせき)の蛇体装飾付土器(じゃたいそうしょくつきどき)の蛇の頭部から、マメの圧痕(あっこん)が見つかって大きな話題となりました。遺跡は1次1994年、2次1995、3次1996年、4次2001年の4回の調査が実施されています。このほか旧長坂町でも調査しています。所在地は北杜市長坂町ですが、酪農試験場の敷地内という方がわかり易いでしょう。 報告書長坂町教育委員会1996酒呑場遺跡G区長坂町埋蔵文化財発掘調査報告書第11集 山梨県埋蔵文化財センター1997酒呑場遺跡(第1・2次)酪農試験場増・改築工事に伴う発掘調査報告書遺溝編山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第135集 山梨県埋蔵文化財センター1997酒呑場遺跡(第3次)遺構編前編酪農試験場増・改築工事に伴う発掘調査報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第136集 山梨県埋蔵文化財センター1998酒呑場遺跡(第3次)(遺構編後編)酪農試験場増・改築工事に伴う発掘調査報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第169集 山梨県埋蔵文化財センター2003酒呑場遺跡第4次酪農試験場屎尿発酵施設建設に伴う発掘調査報告書山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第209集 山梨県埋蔵文化財センター2005酒呑場遺跡(第1~3次)-酪農試験場増・改築工事に伴う発掘調査報告書-(遺物-本文編)山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第216集 山梨県埋蔵文化財センター2005酒呑場遺跡(第1~3次)-酪農試験場増・改築工事に伴う発掘調査報告書-(遺物-図版編)山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第216集 土器の中からマメの圧痕が確認された事実は、マメが栽培種であると判定されたことから、「縄文時代中期(約4,500年前)にすでにダイズの栽培が始まっていた。」として話題になりました。山梨県立考古博物館・山梨県埋蔵文化財センターの『研究紀要24』2008に詳細な報告が掲載されています。 マメといえば・・・同じ北杜市須玉町飯米遺跡で土鈴のなかからマメが出てきたことが、大きな話題になったことがあります。酒呑場遺跡の土器といい、飯米遺跡(はんまいいせき)といい、高温で焼き上げる土器や土鈴の中に、植物の種子を入れて焼くという矛盾した行為は一体何のためであったのでしょう。 飯米遺跡の土鈴鳴子[なるこ]の炭化したマメ(鈴のなかみ) 酒呑場遺跡の土器のなから栽培種のマメの痕跡が発見されたことから、県立博物館を中心に県内のいくつかの遺跡の土器の分析が進められています。そこでは、私たちが思っていた以上にマメの圧痕が検出されています。 ところで、埋蔵文化財センターは県内各地で調査を進めています。遺跡付近の空き地や土手などで「救荒植物」と呼ばれる植物(飢饉のときに食べる植物)を見るのも有意義なことです。それは縄文時代以来からの知識の蓄積の賜物だからです。昨年は笛吹市御坂町の太鼓畑遺跡の近くでツルマメ(ダイズの野生種)とヤブマメが繁茂しているのを見つけました。このツルマメを改良してダイズにしたかと思うと縄文人の永永とした努力がしのばれます。 ツルマメの結実状況ツルマメの花 ヤブマメも救荒植物(きゅうこうしょくぶつ)の一種です。とても不思議なマメで、地上と地中に果を着けます。つまり、授粉した果、授粉しない果ができる訳です。植物としては優れた生存能力を備えているのです。しかも地中果は約11ミリくらいと大きく、増量食材として有益です。下の写真はヤブマメの発芽状況です。左側の大きい2つが地中果で、右側の3つ地上果で大きさは約6ミリです。発芽状況ですから、10%程度は大きく計測されますが、地中果はマメとしては大きめです。 飯米遺跡の土鈴と鳴子の写真掲載は北杜市教育委員会の許可をいただきました。 参考文献小野正文1995「土偶と土鈴と縄文文化」『比較神話学の展望』 保坂康夫ほか2008「山梨県酒呑場遺跡の縄文時代中期の栽培大豆Glycinemax」『山梨県立考古博物館・山梨県埋蔵文化財センター研究紀要』24 中山誠二2007「レプリカ・セム法による植物圧痕土器の分析(1)-山梨県油田遺跡出土土器の圧痕跡-」山梨県立博物館研究紀要1 中山誠二ほか2008「レプリカ・セム法による圧痕土器の分析(2)-山梨県上ノ原遺跡、酒呑場遺跡、中谷遺跡-」山梨県立博物館研究紀要2 中山誠二ほか2009「レプリカ・セム法による圧痕土器の分析(3)-山梨県天神遺跡、酒呑場遺跡-」山梨県立博物館研究紀要3
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