トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0343常葉川堤防遺跡
ページID:45043更新日:2016年2月25日
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身延町の遺跡 |
常葉川堤防遺跡は、南巨摩郡身延町波高島地区に所在する近世~近代の遺跡です。中部横断自動車道の建設に伴い、平成24年の5月末から発掘調査を行っています。 遺跡概要遺跡の周辺には常葉川が流れ、富士川へと注いでいます。波高島という地名の由来として、富士川と早川の合流点の川下にあり、川瀬が急流となる箇所に位置していることから「波高島」となったという説があり、遺跡の所在する波高島地区は度々これらの川の氾濫に悩まされたようです。そのため本遺跡のような堤防が築かれたと考えられます。 また、富士川は江戸時代に開始された舟運で栄え、多くの物資や人の運搬に利用されました。この遺跡の近辺からも、波高島河岸に年貢米が集められ、富士川を下って静岡を経由し、最終的に江戸まで運ばれたとみられています。また、明治期には、遺跡の近くに造船所があったともいわれており、富士川舟運との関連が考えられます。 上の写真は、5月に撮影された調査を行う前の遺跡の状況です。この原っぱの下に何が眠っているのでしょうか? 現在の発掘状況1枚目の写真と同じ方向から撮影した6月中旬頃の遺跡の状況です。掘り下げた結果、石がごろごろとたくさん出てきているのが分かります。別の角度から見てみましょう。 上の写真の白いラインは、堤防の際と考えられる箇所です。ちょうどトップページの写真の石垣の延長線上に位置し、白い線から向かって左側にかつて堤防の石積みがあったと考えられます。 また、赤い円で囲った箇所は他の石と比べて妙に整った形をしていると思いませんか?実はこれは石ではなくコンクリートです。なぜコンクリートが出てきたのでしょうか? 地元の方の話によれば、昭和のはじめ頃、この場所は田んぼとして土地利用されており、田んぼに水を引くためにコンクリートを打って水路を作ったということです。断定は出来ませんが、もしかしたらこのコンクリートはその水路のものかもしれません。 堤防から出土した遺物堤防の石積み箇所からは、丸太が二本並んだ状態で検出されました。 これらの丸太は所々、金属が付着していました。(丸太表面のやや赤くなっているところ)おそらく当時は番線のようなもので固定されていたのだろうと考えられます。しかし、なんのためのものなのかは現在の時点ではまだ分かっていません。今後の調査で明らかにしていきたいと思います。 また、丸太の他に上の写真のような磁器や、陶器が出土しています。昭和のものと思われる新しいものも出土していますが、中には江戸時代のものと見受けられるものも出土しています。 数日前に堤防の石積み箇所を掘り下げて内部の調査を行いました。これまでより江戸から明治にかけての遺物が多く出土することが期待されましたが、残念ながら遺跡の年代を特定できるほどの遺物の出土はありませんでした。ただ、堤防の石積み箇所から検出された丸太に、番線と思われるものが使用されていたことから、比較的新しい時代、古くても明治時代頃の遺跡なのではないかと推察できます。 |