トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0371太鼓畑遺跡
ページID:53030更新日:2016年2月8日
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笛吹市の遺跡
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太鼓畑遺跡は、浅川や竜蛇川など御坂山塊から甲府盆地へ向かって流れる河川の間にある、標高約425mの丘陵上に立地します。今回の調査では、縄文時代中期(今から約5.000年ほど前)の集石と呼ばれる火を受けた石がまとまって出土する遺構や、平安時代の住居跡1軒、平安時代(今から約1.200年前)の住居跡が検出されました。 縄文時代の調理に用いられた石か
写真2 集石遺構 太鼓畑遺跡では、調査区の西側で拳大の石がまとまって出土する縄文時代の集石遺構が検出されました。写真2を見て下さい。火を受けているため、割れている石がみられます。このことから、これらの石は石蒸し料理など調理に用いられた可能性があります。 平安時代の住居跡写真3 平安時代の住居跡 太鼓畑遺跡では、平安時代(今から約1.200年前)の住居跡が1軒検出されています。住居跡は全体の2/3が残っており、一辺が約4mの方形になると思われます。住居跡からは、土器や小刀と思われる金属製品などが出土しました。 写真4 住居跡から出土した土器 写真5 住居跡から出土した金属製品 壊されたカマド?住居の東の壁際にはカマドの跡が確認されました。カマドの構築材となった黄褐色の粘土を慎重に取り除きながら調査を進めると、赤く焼けた土の上から土器の破片が出土しました。また、カマドの芯材として用いられる石や土器を支える支脚など、カマドの基礎となるものが出土しなかったことから、このカマドは使われなくなった後、故意に壊した可能性があります。カマドを廃棄する際に何らかの祭祀が行われた可能性があり、興味深い事例となります。 写真6 住居跡東壁から検出されたカマド ◆所在地 笛吹市御坂町竹居地内 ◇時代 縄文時代・平安時代
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