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ページID:70378更新日:2017年5月19日
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鰍沢河岸の遺跡トピックス
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鰍沢河岸跡は甲府盆地を南に流れる笛吹川と釜無川が合流して富士川となったところにあります。 鰍沢河岸は江戸時代に甲府盆地の年貢米を江戸に運ぶために開かれました。明治時代の初めまで問屋街が栄えていました。
所在地:南巨摩郡富士川町鰍沢町1374-5ほか 時代:近世・近代 報告書:『鰍沢河岸跡2.』白子明神地区宅地水防災事業に伴う発掘調査報告書(山梨縁埋蔵文化財調査報告書第224集)
猿の泥めんこ鰍沢河岸跡からはたくさんの泥めんこが出土しています。泥めんこには大黒様や天狗などの神仏、宝船や獅子頭などの縁起の良いもの、硯や灯篭などの器物、鳥や魚や花などをかたどったものなど多くの種類があります。 その中には今年の干支である猿があります。これは猿の顔です。結構リアルに表現されていると思いませんか。
猿の顔 次のは日光東照宮の三猿で有名な見ざるです。どこかに言わざる、聞かざるもいるのでしょうが、鰍沢河岸跡からは見つかっていません。 見ざる 同じ猿でも表現が違います。泥めんこは子供が遊ぶ玩具としての一面と大人が畑の作物が病気にならないようにまたは商売がうまくいくようにといった祈りの意味での使い方があったと言われています。
現在でも身近な存在である猿ですが、古来より山神や田畑の守り神としても親しまれてきました。今年は嫌なことがサル、良い一年でありますように!
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