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ページID:41617更新日:2024年5月31日
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県指定 有形文化財 書跡 |
しゅんのうれいざんぼくしょ / 平成6年6月23日指定 / 甲州市塩山上於曽 / 向嶽寺
向岳庵開山抜隊禅師の弟子である峻翁令山のが書いた紙本墨書の掛軸装である。向嶽寺総門の扁額を除くと峻翁唯一の書で、禅家の引導法語であると考えられている。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
しほんぼくしょだいはんにゃきょう / 昭和35年11月7日指定 / 甲州市塩山藤木 / 放光寺
遠江国鎌田山医王院に所蔵されていたものが、天文年間武田氏によって伝えられたとされる。書写は建武5年(1338年)からはじまり暦応4年(1341年)に一時中断し、嘉慶元年(1387年)に再開、嘉慶2年(1388年)に完成された。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
こうしゅうかんぞうもんじょ / 平成11年9月9日指定 / 甲州市塩山上於曽 / 甲州市
享保5年(1720)徳川幕府の採薬使丹羽正伯の見分により幕府へ甘草御用を勤めるべきことを命じられた上於曽村長百姓高野家の歴代当主と村役人の書状などの甘草関係文書である。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
ばっすいとくしょうぼくしょ / 平成6年6月23日指定 / 甲州市塩山上於曽 / 正覚寺
向嶽庵開山抜隊得勝が自ら向岳抜隊老衲と大書した紙本墨書の掛軸装である。 軸寸法は縦160cm、横40cm、本紙は縦89.5cm、横26.5cmである。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
しほんぼくしょげんこうしゃくしょ つけたりはんぽんげんこうしゃくしょ / 昭和52年3月31日指定 / 甲州市塩山下粟野 / 松泉寺
大永4年(1524年)書写の和本袋綴元である。元亨釈書は本覚国師虎関師錬が元亨2年(1322年)に編述を終えた仏教史書であり、全国的に釈書の写本、版本は併せて約20件が見られるが松泉寺釈書は写本、版本とも最古に属す。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
しほんぼくしょだいはんにゃきょう つけたりきょうばこ(だい)3はこ きょうばこ(しょう)30はこ / 平成6年6月23日指定 / 甲州市塩山竹森 / 個人
書写は応安元年(1368)にはじまり、正徳6年(1716)に欠巻を補写している。中世の「髙橋荘竹森郷」や「八幡庄安田郷下井尻村」中世の荘名、郷名、村名などがの奥書にみえる。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
かいこくしそうこうほんおよびへんしゅうしょしりょう / 昭和40年8月19日指定 / 中央市西花輪 / 個人
『甲斐国志』編さんに関わった内藤清右衛門家に伝存する国中の山梨・八代・巨摩三郡関係の資料である。草稿には随所に加除訂正が施されている。また、完成本に取り入れられなかった書状類や絵図などもある。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
おうだいき / 昭和37年12月17日指定 / 市川三郷町市川大門 / 個人
山梨市の窪八幡神社の別当上之坊普賢寺の住僧代々書き綴った資料であり、前編の王代記と追記の年録、後編の年代記から成る。大永4年(1527年)頃に成立したと推定されている。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
めぐりきけもんじょ / 昭和52年3月31日指定 / 市川三郷町市川大門 / 個人
天和年間(1681年)から嘉永年間(1853年)までの附句類、俳書、和歌書、書簡、俳諧古文書、扇面、発句色紙・短冊、和歌短冊、軸の9種から成る資料である。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
しほんぼくしょじゅうにょぜごしょ / 昭和35年11月7日指定 / 身延町大野 / 本遠寺
本阿弥光悦筆の墨書巻子本で、日遠上人のために献じたものである。 |