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ページID:41598更新日:2024年5月31日
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[目次]
県指定 有形文化財 書跡 |
だいぜんじもんじょ / 昭和44年11月20日指定 / 甲州市勝沼町勝沼 / 大善寺
安元3年(1177年)から慶長8年(1603年)にかけての文書であり、鎌倉府との関係を示す関東御教書などの文書や、武田氏・織田氏・豊臣氏・徳川氏などからの寄進状などがある。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
えりんじもんじょ / 昭和33年6月19日指定 / 甲州市塩山小屋敷 / 恵林寺
「恵林寺領穀米并公事諸納物帳」、「恵林寺領御検地日記」、「見桃録」2冊「天正玄公仏事法語」の5冊。恵林寺領穀米并公事諸納物帳と恵林寺領御検地日記は 永録7年(1564)に武田信玄が恵林寺を菩提所とする際検地を実施して収入を確定した記録で、本県に現存する最古の検地帳である。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
わかんろうえいしゅう / 昭和38年9月9日指定 / 甲州市塩山小屋敷 / 恵林寺
南北朝時代初期の書写の紙本墨書である。もとは冊子本であったものを巻子本に改装したもので、幅29.5cm、全長18mとなっている。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
こうがくじもんじょ / 昭和48年7月12日指定 / 甲州市塩山上於曽 / 向嶽寺
文安2年(1445年)から慶長8年(1603年)までの巻子本5巻と一枚物、向嶽寺領絵図からなる。向嶽寺領絵図は武田信虎・晴信・勝頼が認証してきた寺領域の墨書絵図に加藤光泰による証判が加えられている。武田氏滅亡後に徳川家康が朱引きし先例に任せることを保証したとする伝承を持つ。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
えんざんこうがくぜんあんしょうねんだいき / 昭和48年7月12日指定 / 甲州市塩山上於曽 / 向嶽寺
永和2年(1376年)から明和6年(1769年)までの約400年間の記録で、向岳庵開山抜隊和尚から第184世松山和尚までの歴代住職の入院と示寂のほか、宗門内の諸行事や世間におこった重要事件などが記載されている。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
ばっすいとくしょうぼくしょ / 昭和48年7月12日指定 / 甲州市塩山上於曽 / 向嶽寺
向岳庵開山抜隊得勝が死去する2年前に書いた墨跡で、縦33.5cm、横73.0cmの掛軸装である。紙面の消磨が著しく判読不可能な部分も多い。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
こんごうはんにゃはらみつきょうはんぎ / 昭和52年5月23日指定 / 甲州市塩山上於曽 / 向嶽寺
桜材で、長さ105.0cm、幅37.0cm、厚さ2.8cmの金剛般若経の巻子本版木である。巻末の刊記から文安3年(1446年)の作品で球岡瑾首座による刊行である。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
ずいくだらにぎきはんぎ / 昭52年5月23日 / 甲州市塩山上於曽 / 向嶽寺
唐の不空が訳した随求即得陀羅尼経の版木である。桜材で長さ103.0cm、幅29.0cm、厚さ3.5cmの巻子本の版木で、室町時代初期に製作されたと考えられる。翻刻以来長年の使用で磨滅が進んでおり、残欠もあるが版木として保管された貴重な資料である。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
えんざんかなほうごはんぎ つけたりはんぎ24まい / 昭和52年5月23日指定 / 甲州市塩山上於曽 / 向嶽寺
桜材で縦22.0cm、横40.0cm、厚さ1.4cmの和綴本の版木である。向嶽庵開山抜隊得勝が在家の人々の質問に回答した文の集成で、平易な仮名交じり文で記されている。享保12年(1727)の版木36枚と、附指定の24枚は寛永年間のものであると推定される。 |
県指定 有形文化財 書跡 |
こほうかくみょうぼくしょ / 平成6年6月23日指定 / 甲州市塩山上於曽 / 向嶽寺
抜隊得勝の師孤峯覚明(三光国師)が書いた紙本墨書の掛軸装で、孤峯の晩年にあたる正平8年(1353)2月26日に書かれたものであると考えられる。雄渾な筆致で禅修行の要諦を記している。 |