トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0012梅平本田遺跡
ページID:4445更新日:2017年5月8日
ここから本文です。
身延町の遺跡 |
梅平本田遺跡〔うめだいらほんでんいせき〕梅平本田遺跡は、国道52号改築(身延バイパス)工事のため、平成8(1996)年度に発掘調査が行われました。遺跡からは、平安時代ないし鎌倉時代の鍛冶(かじ)遺構や建物跡、柱穴列などが発見されました。
この遺跡は、昭和58・59(1983~1984)年度に調査の行われた南部氏館跡に近接しており、中世に活躍した南部氏との関連が考えられています。また出土品には平安時代の土師器片や中世の陶磁器・土師質土器片などがあります。
所在地:南巨摩郡身延町梅平字本田 時代:平安時代ないし鎌倉時代 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第143集1997年(平成9年) 山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター 写真遺跡を波木井川対岸からみた風景 写真全景 出土した遺構・遺物遺跡からは竪穴状遺構(1基が確認されました。この遺構は半分が調査用地の外へのびているため、全体の半分しか調査することができませんでした。しかし床面の中央部付近に掘られた小さな穴からは、多数の鉄滓や細かい鉄片が出土したことから、地金から製品を製作した施設ではないかと推測されています。またこの穴からは桃の種も確認されています。桃は神聖な果実として、古代から祭祀等で用いられており、この鍛冶遺構から出土した桃も、鍛冶をおこなう際の祭祀行為に用いられたものと考えられています。中世の鍛冶遺構は資料が少なく、とても重要な発見であったといえます。 写真:左下に写っているのが、鍛冶遺構と考えられる竪穴状遺構 左図:竪穴状遺構から出土した鉄くず右図:竪穴状遺構から出土した桃の種 |