トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0013塩瀬下原遺跡
ページID:4458更新日:2016年2月8日
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大月市の遺跡0013塩瀬下原遺跡-敷石住居-0083塩瀬下原遺跡-土器・石器-0227塩瀬下原遺跡-石皿-0063大月遺跡-敷石住居-0215大月遺跡-クリの炭化種子-0314大月遺跡-石器-0138原平遺跡-縄文時代早期末の住居-0279御所遺跡-奈良・平安時代の竪穴住居跡- |
塩瀬下原遺跡は、大月市梁川町に所在する縄文時代~平安時代の集落遺跡です。1995年~1998年にかけて、桂川流域下水道終末処理場の建設に伴って調査がおこなわれました。
所在地:大月市梁川町塩瀬
時代:縄文時代・弥生時代・平安時代
報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書 第161集1999(平成11)年刊行・第191集2001(平成13)年刊行
調査機関:山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター 左:塩瀬下原遺跡の全景写真(南西から) 右:敷石住居の調査風景の写真 出土した遺構・遺物左:塩瀬下原遺跡から検出された柄鏡形敷石住居跡の上空からの写真 右:大月遺跡から検出された柄鏡形敷石住居の写真
楕円形をした住居部分に柄がついたような形の柄鏡形敷石住居のひとつです。塩瀬下原遺跡の柄鏡形敷石住居は柄にあたる部分がやや短く、典型的なものは右上の写真のような形をしています。住居部分の直径が約8mと大型であること、炉を中心に敷石が十字型に並べられていることなど、関東地域でも珍しい遺構として注目されました。また、柄の部分にあたる入り口とされている所に門柱のように大きな石を立てていることも特徴で、この住居の特殊性から居住者が特別な役割を占めていたであろうことがうかがえます。
「埋文やまなし第12号」で敷石住居の特集を組んでいますので、そちらもご覧ください。 左:敷石住居下の焼けた土から出土した土器 右:土器の出土状況
敷石住居の下からは炭化した木や焼けた土が詰まった穴がみつかりました。その中からは完全な形の土器も出土しました。炭化した木を分析したところ4,000~3,700年前のものという結果が得られたことから、敷石を造る以前に火を使う場所があったことがわかります。敷石住居を造る前に、祭祀(マツリ)がおこなわれていたことが想像できます。 |