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ページID:4443更新日:2017年5月18日
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大月市の遺跡0013塩瀬下原遺跡-敷石住居-0083塩瀬下原遺跡-土器・石器-0227塩瀬下原遺跡-石皿-0063大月遺跡-敷石住居-0215大月遺跡-クリの炭化種子-0314大月遺跡-石器-0138原平遺跡-縄文時代早期末の住居-0279御所遺跡-奈良・平安時代の竪穴住居跡- |
塩瀬下原遺跡は、大月市の桂川流域下水道終末処理場建設に伴って平成7から10年まで発掘調査が行われました。以前、遺跡トピックスNo.0013では、敷石住居(しきいしじゅうきょ)について説明しましたが、今回はその下から発見された土坑(どこう)と遺物について紹介します。 (塩瀬下原遺跡の概要は遺跡トピックスNo.0013をご覧ください)。
写真1遺跡の全景
点線内は、塩瀬下原遺跡の範囲を示しています。(第1~4次調査区) この写真で発掘調査中の部分が第4次調査区です。
写真2新聞にも掲載された十字形の敷石をもつ敷石住居跡
写真2の中央に丸い穴があるのがわかりますか?これが、炉跡です。その周りに見える石が十字形の敷石をもつ住居跡で敷石住居跡と呼ばれています。この、地面に敷かれた石や炉を取り外し、地面を掘ったところ、写真3・4のような土器と石器が入った2つの土坑が見つかりました。2つの土坑は重なりあっていて、それぞれにほぼ完全な形の土器が1つずつ埋められていました。 写真3炉の西側から見つかった土器
写真4炉の東側から見つかった土器
土器の周りは赤く焼けた土がいっぱい堆積しており、その下からは炭になった木材がたくさん見つかりました。炉の西側から見つかった土器の近くからは、磨製石斧(ませいせきふ)と呼ばれるつるつるに磨かれた石の道具〔写真5の左下〕と、磨石(すりいし)と呼ばれる丸い石の道具〔写真5の右下〕が見つかりました。 写真5敷石の下から発見された土器と石器
土器も石器も火の中で焼かれたような痕を残しています。もしかしたら、家を建てる前に土地の神様に祈りをささげる地鎮(じちん)のようなことが縄文時代の塩瀬下原遺跡でも行われていたのかもしれませんね。 |