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ページID:4612更新日:2016年2月8日
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経塚古墳は、笛吹市一宮町に所在する、古墳時代後期(7世紀前半頃)に造られた古墳です。1994(平成6)年に森林公園建設事業に伴って発掘調査を実施しました。この調査で、八角形の平面図をもつことが明らかになり、県内唯一のたいへん貴重なものとして県史跡に指定されました。そして、復元整備されることとなりました。復元された古墳は、山梨県森林公園金川の森の内で公開され、現在でもその姿を見ることができます。
所在地:笛吹市一宮町国分字経塚[山梨県森林公園金川の森内] 時代:古墳時代 報告書:山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第109集1995年(平成7年)刊行 調査機関:山梨県教育委員会・山梨県埋蔵文化財センター 〔写真〕 (左)墳丘(正面より) 墳丘:直径約13m、高さ約2,2m石室:長さ6.6m、幅1.2~1.6m、高さ1.2~1.6m (右)調査の様子 出土した遺構・遺物経塚古墳は、八角形の墳丘に両袖型横穴式石室を持つ古墳です。また、遺体や副葬品を納めた石室も中央部に膨らみのある「胴張り」の構造をとっています。 八角形の石列を造る際、中心から八方向に等距離を計ります。そして、その計った8ヶ所に目印の石を置き、その目印も石の間に石を並べ、造っていくことが予測できます。 〔写真〕 (左)発掘が完了した状況(外護列石・中段列石・石室墓底部石検出状況) (右)「かぐらさん」による石室解体
この調査では、実験的な試みとして石を動かす伝統的な技法である「かぐらさん」を用い、クレーンなどの現代の機械を使わない解体調査を行いました。 「かぐらさん」とは、いわゆる轆轤(ろくろ)のことで、大木や石など重いものを引き上げる時に使います。二ツ又を組んで、石に綱を掛け、「かぐらさん」を巻いていくと、二ツ又に取り付けられた滑車に吊られた石が持ち上がります。 〔写真〕 (左上)石室天井石設置状況、(右上)石室天井石設置完了(上空より) (左下)調査結果からの復元図、(右下)復元整備された現在の古墳(正面斜め左より)
経塚古墳の復元整備は、まず既存の破損していた墳丘及び石室石積等を解体し、その後再構築しました。可能な限り、往時の工法で古墳を再現することを目標にし、復元整備を行いました。 経塚古墳の周辺にはたくさんの古墳がありましたが、現在まで、姿をとどめているものはごくわずかです。そんな中でこの古墳は、復元整備され保存された貴重な存在です。 〔写真〕 (左)鉄斧長さ4,3cm、幅約3,7~3,9cm、厚さ2,0cm、重量97.90g、(右)甲斐型坏出土状況
経塚古墳の遺物は、残念ながら盗掘によって、築造時のものと推測されるものは鉄斧だけです。その他、後世の遺物として甲斐型土器の坏など(平安時代)が出土しました。
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