トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0026四ノ側遺跡
ページID:4587更新日:2016年2月5日
ここから本文です。
都留市の遺跡
|
四ノ側遺跡は平安時代(10世紀後半)の遺跡です。桂川の右岸、都留市田原の標高約510mに位置します。調査前は南都留合同庁舎の駐車場となっていました。都留児童相談所の建設に伴い、2005年(平成17年)6月から7月にかけて発掘調査を行いました。 駐車場になる以前にあった建物の基礎や旧河道、土石流により大きな攪乱を受けていたにもかかわらず、住居跡、土坑、溝を確認することが出来ました。
所在地:都留市田原(南都留合同庁舎駐車場) 時代:平安時代後半 調査機関:山梨県教育委員会山梨県埋蔵文化財センター [写真](左)四ノ側遺跡全体図(右)遺跡発掘調査風景 検出した遺構遺跡では2軒の住居跡が確認されました。この2軒は隣り合っていますが、出土した遺物から判断すると、造られた時期には数十年の時期差があると考えられます。
両住居とも半分近くを土石流によって削られているのですが、西側の住居では北東に1つのカマドを、東側の住居では北と東にそれぞれ1つずつ、計2つのカマドを確認することが出来ました。 [写真](左)隣り合う2軒の住居(向かって左が本文中東側住居、右が西側住居) (右)西側住居のカマド跡(焼けた土が赤く、硬く残る) 周囲の遺跡との関連この遺跡の東北1kmには律令時代の都留郡多良郷の中心地に近いのではないか、といわれる三ノ側遺跡が存在しており、この四ノ側遺跡も古代東部地域を研究する貴重な資料の一つになると考えられます。
古代県東部地域の歴史と遺跡についてはこちらで詳細が見られます。LINK [写真]甲斐国郡郷位置推定図(磯貝正義氏原図)
次の遺跡トピックスへ|遺跡トピックス一覧へ|一つ前の遺跡トピックスへ
|