トップ > 組織案内 > 県教育委員会の組織(課室等) > 埋蔵文化財センター_遺跡トピックスNo.0027鰍沢河岸跡
ページID:4372更新日:2016年2月5日
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富士川町の遺跡
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鰍沢河岸跡Cは、富士川町(旧鰍沢町)横町地区(山梨交通営業所裏)に位置する江戸時代から明治・大正時代にかけての遺跡です。
所在地富士川町(旧鰍沢町)横町(山梨交通鰍沢営業所裏) 時代江戸時代~明治・大正時代 調査機関山梨県埋蔵文化財センター 〔写真〕調査区を横切る東西方向の大石垣
上の写真は、調査区を横切る大規模な石垣です。 石垣は長さ約25mにわたり、二区間に連続していて、さらに西へ延びています(左側写真)。高さは2mもありますが、三段階にわたって積み足された結果です。 これからは、調査区付近を流れる富士川や南川の氾濫で石垣が埋れ、洪水のたびに石垣を積み足していったことが分かりました。 なお、東端部分で石垣は南方向に曲がり、さらに南へ続いているようです(右側写真)。 〔写真〕粘土枠遺構 大規模な石垣の東端部分では、地表下2.5mから石敷き面が確認されました。 石敷き南東隅に方形に石が敷かれていない部分があり、その中に方形の粘土枠遺構があります。粘土枠の壁は厚さ3cmほどで、高さ15cm程度が残存しています。粘土枠内には砂層が堆積していることから水との関わりが考えられます。 石敷きは、家の土台で、粘土枠遺構は、お勝手の水場だったかも知れません。
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